紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

吹上神社 案内板

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案内板
「 吹上神社

御祭神
 大山咋命  別名山末之大主神と言い比叡山に坐す建国に功労のあった神
 倉稲魂命  食物を主宰する神
 素盞嗚尊  信性勇猛な又災厄祓除の神
 大物主命  大國主命の和魂称し奉る御名
 菅原道真公 学問の神
由緒
 當日枝社は宝暦六年七月火災により焼失すその後再建年月不詳
 明治六年四月村社に列せらる
同四十年四月十六日大字中耕地稲荷社同境内社八坂社字下耕地氷川社同境内社琴平社天神社の五社を合祀す
 当社は近江國大津市坂本の日枝大社(山王社)より神霊を分ち奉持して参りましたが明治四十年右五社を合せ吹上神社と改称す 」


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案内板
「 吹上神社 御由緒
 鴻巣市吹上本町四‐一四‐二六
□御縁起(歴史)
 吹上は、北足立郡の最北端に位置し、その地名については、風で砂が吹き上げるところから生じたものとの説がある。古くからの集落は中山道に沿って続いており、江戸時代には中山道の熊谷・鴻巣の両宿場の立場が置かれ、更にその地内で中山道日光脇往還が交わることから、交通の要衝として繁栄した。
 『風土記稿』吹上村の項には「山王社 村内上分の鎮守とす、東曜寺持」「氷川社 小名遠所の鎮守なり、持宝院持」「稲荷社 下宿の鎮守なり、東曜寺持」と、鎮守が三社記されている。このように、江戸時代にあっては、村内を三分し、各々で鎮守を祀っていたが、最も規模が大きかったことから社格制定に際しては日枝社(神仏分離により山王社が改称)が村社となり、他の二社は無格社にとどまった。更に、政府の合祀政策によって明治四十年四月十六日付で、氷川社と稲荷社は日枝社に合祀され、これに伴い、日枝社は村名を採って吹上神社と改称した。年配の人が当社を「山王様」と呼ぶのはこうした経緯によるものである。
 ちなみに、氷川社の跡地は本町二丁目の遠所橋のすぐ南に、稲荷社の跡地は鎌塚二丁目の新宿橋のたもとの所にあり、いずれも祠が建てられている。また、日枝社については、『明細帳』に「宝暦六年(一七五六)七月火災焼失す其後創立年月不詳」との記録が載る。
□御祭神と御神徳
 ・大山咋命・・・五穀豊穣、健康良運
□御祭日
 ・元旦祭(一月一日)  
 ・祈念祭(二月下旬の日曜日)
 ・二ノ午祭(旧暦の二月二ノ午) 
・夏祭り(七月二十七・二十八日)
 ・例祭(九月十五日)    
 ・新嘗祭(十一月二十三日) 」