紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

前砂の一里塚跡

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案内板
「 前砂の一里塚跡

江戸時代の初期、参勤を契機として街道が整備され、主な街道には距離の目安として一里塚が築かれた。慶長見聞集によると、中山道の一里塚は慶長九(1604)年に築かれた。
一里塚は、江戸日本橋を起点として一里(約4km)ごとに、街道両側に五間(約9m)四方、高さ約十尺(約3m)の盛土をし、上部に榎や松を植樹したもので、馬・籠の駄賃や道程の目安になるとともに、旅人の憩いの場でもあった。
日本橋から十三里目の、ここ前砂の一里塚は、文化年間(1804〜1818)完成の中山道分間延絵図によれば、街道の両側(現前砂681番地に西塚、71番地に東塚)に、榎の茂った塚が描かれているが、現在は両塚とも残っていない。
ちなみに、鴻巣市域では、十一里目の馬室原の一里塚(西塚が現存、県指定文化財)十二里目の箕田の一里塚が確認されている。
なお、次の一里塚は、間の宿吹上の町並 みを過ぎ、前原の権八地蔵尊の先、久下の長土手にある。

日本橋からの距離等については、当協会の見解である。

平成二十八年十月

一般財団法人鴻巣市観光協会