案内板
「 前砂の一里塚跡
江戸時代の初期、参勤を契機として街道が整備され、主な街道には距離の目安として一里塚が築かれた。慶長見聞集によると、中山道の一里塚は慶長九(1604)年に築かれた。
一里塚は、江戸日本橋を起点として一里(約4km)ごとに、街道両側に五間(約9m)四方、高さ約十尺(約3m)の盛土をし、上部に榎や松を植樹したもので、馬・籠の駄賃や道程の目安になるとともに、旅人の憩いの場でもあった。
日本橋から十三里目の、ここ前砂の一里塚は、文化年間(1804〜1818)完成の中山道分間延絵図によれば、街道の両側(現前砂681番地に西塚、71番地に東塚)に、榎の茂った塚が描かれているが、現在は両塚とも残っていない。
ちなみに、鴻巣市域では、十一里目の馬室原の一里塚(西塚が現存、県指定文化財)十二里目の箕田の一里塚が確認されている。
なお、次の一里塚は、間の宿吹上の町並 みを過ぎ、前原の権八地蔵尊の先、久下の長土手にある。
※日本橋からの距離等については、当協会の見解である。
平成二十八年十月