紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

関山満願寺境内の碑 「おくのほそ道の山」

 

「     奥のほそ道の山

 

「漂泊の思ひやまず」、「春立る霞の空に白河の関越えんとそぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神の招きにあひて取もの手につかず」
弟子の曽良を伴って、元禄二年(一八六九年)奥州へ旅立った芭蕉は、四月二〇日陽暦なら六月七日、白河の地に立った。暮れ前から小雨模様であったこの夜は関跡旗宿に泊まった。
翌八日梅雨の霖雨も辰の上刻午前七時半ころにはあがり、、関の明神を参詣した後、風騒の二人は関山へ向かった。歌枕、白河の関の所在地について現地で戸惑いを感じた芭蕉は関山に惹かれ旗宿より北東三粁にある南麓の内松部落をぬけて稲荷社と「せき山」と刻んだ石の古道標のある地点より登った。
 
曽良の日記
関山ヘ参詣、行基菩薩ノ開基、聖武天皇御願寺聖観音ノ由、成就山満願寺
旗ノ宿ヨリ峯迄一里半 麓ヨリ峯マデ十八丁 山門有 本堂有 奥ニ弘法大師行基菩薩堂有
山門ト本道ノ間 別当・寺有 真言宗なり 本堂参詣ノ比少雨降ル 暫時止。


関守の宿を水鶏(くいな)に問はうもの 芭蕉

卯の花をかざしに関の晴れ着かな   曽良

奥の花や四月に咲を関の山      桃隣  

 

 

      白河市長 小野亀八郎 書   」