紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

矢倉立場

矢倉立場

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案内板
「 矢倉立場

 東海道五十三次の52番目の宿場・草津宿南 に続く矢倉村 。立場 とは、宿場と宿場の間に茶店などが設けられ、旅人が杖を立てて休んだことからついた名で、矢倉村には草津名物の『うばがもち』を売る店があった。
 この地に、そのうばがもちがあり、歌川広重 の浮世絵や『東海道名所図会 』『伊勢参宮名所図会 』などに、旅人が立ち寄って、うばがもちを賞味する光景が描かれている。
 また、ここからは対岸の大津へと琵琶湖の湖上を渡る『矢橋の渡し 』の渡し場である矢橋湊へ続く矢橋道が分岐していた。浮世絵などにも描かれた道標が、今も軒先に建っている。旅人は、俗謡に『瀬田に廻ろか矢橋へ下ろかここが思案の乳母が餅』と詠まれ、旅人の多くは、ここで東海道を瀬田橋まわりで行くか、矢橋道を経て、矢橋湊から船で大津へ渡るかを思案した。
 そして、この地と矢橋の渡し、瀬田橋は、よく使われる俚言で『急がば廻れ』の語源になったところでもある。
武士のやばせの舟は早くとも 急がばまわれ 瀬田の長橋(『醒睡笑 』)と詠まれ、近道であっても、湖上が荒れて舟が出なかったり、風待ちをしたりする矢橋の渡しを利用するより、回り道でも瀬田橋まわりの方が着実であることから、成果を急ぐなら、遠回りでも着実な方法をとる方が良いことを指南したものである。
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│寛政10年(1798)道標 │
│ (草津市指定文化財 ) │
│『右やばせ道 これより廿五丁 │
│  大津へ船わたし』 │
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