紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2022-07-05から1日間の記事一覧

日蓮上人高座石

案内板 「 富士見町指定史跡 日蓮上人の高座石 文永十一年(一二七四)三月、流罪を赦された日蓮上人は佐渡から鎌倉へ帰ったが、その後、甲斐国河内の豪族波木井氏の庇護を受けて身延に草庵をつくることになった。その合間に、上人は甲斐の逸見筋から武川筋の…

山口関所跡

案内板 「 町指定文化財(史跡) 山口関所跡 甲州二十四ヶ所の口留番所の一つで、信州口を見張った国境の口留番所である。 ここがいつ頃から使用されたかは不明であるが、天文十年(一五四六)の武田信玄の伊那進攻の際設けられたという伝承がある。『甲斐国志…

台ケ原宿 修験 智拳寺跡

案内板 「 ③修験 智拳寺跡 山岳宗教と仏教が習合された信仰的宗教が修験である。奈良時代に役小角を開祖として始まったといわれている。室町時代には、天台宗系本山脈、真言宗系を当山脈としていた。 甲斐国誌によれば、県内の本山脈は八十五院当山脈が二百…

石碑「甲州台ケ原宿とお茶壺道中」

石碑「甲州台ケ原宿とお茶壺道中」「 甲州台ケ原宿とお茶壺道中 お茶壺道中とは、江戸時代に将軍家御用達の新茶を京都宇治から江戸城まで運んだ行列である。行列の格式は極めて高く御三家の大名行列さえ道を譲っていた。また、庶民にとってもズイズイズッコ…

案内板 ④お茶壺道中と当社の由来

案内板 「 ④ お茶壺道中と当社の由来 お茶壺道中は、江戸幕府三代将軍家光の寛永十年から毎年四月中旬、京都の宇治に採茶使を派遣して、将軍家御用達の新茶を茶壷に納封して、江戸城へ運んだ行列である。 行列の往路は東海道であったが、帰路は中仙道を経て…

台ケ原宿 荒尾神社と田中神社

案内板 「 甲州街道 台ケ原宿 荒尾神社と田中神社荒尾神社は、もと中山の麓の根古屋にあった。祭神は罔象女命と日本武尊である。 甲斐国誌に「荒キ尾白川ニ臨ムノ意ニテ荒尾ト名付クト云」とあり、尾白川の氾濫などから村人が、台ヶ原などに移り住むようにな…