案内板
「 ④ お茶壺道中と当社の由来
お茶壺道中は、江戸幕府三代将軍家光の寛永十年から毎年四月中旬、京都の宇治に採茶使を派遣して、将軍家御用達の新茶を茶壷に納封して、江戸城へ運んだ行列である。
行列の往路は東海道であったが、帰路は中仙道を経て甲州街道へ入り、谷村勝山城の茶壷蔵に収蔵して、熟成後の秋に江戸城に搬入されていた。この茶壷行列は権威が高く、御三家の大名行列さえも道を譲らなければならないほど格式の高い行列であった。
資料によれば、このお茶壷行列は、中仙道奈良井宿や下諏訪宿に逗留後、当田中神社に宿泊したと記録されている。甲斐国誌には「此ノ拝殿昔時ハ毎年御茶壷一泊ノ処ナル故ニ修造料トシテ金拾両宛二度拝領セリ、慶安五年六月ノ立札ノ写ニ御茶壷毎年当社拝殿御一泊候間拝殿並ニ御番所柱壁等落書一切仕ル間候」とあり、また「御茶壷通行ノ停マリシハ元禄三年ナリト見タリ」と記されている。故に当社は、お茶壺道中とゆかりがあり、由緒ある神社である。
平成十六年十月吉日 台ヶ原区 」