紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

山口関所跡

案内板
「 町指定文化財(史跡) 
    山口関所跡

 甲州二十四ヶ所の口留番所の一つで、信州口を見張った国境の口留番所である。
 ここがいつ頃から使用されたかは不明であるが、天文十年(一五四六)の武田信玄の伊那進攻の際設けられたという伝承がある。『甲斐国志(一八一四)』によれば、番士は二名で近隣の下番の者二名程を使っていた。当時の番士は二宮勘右衛門・名取久吉で名取氏は土着の番士であったが、二宮氏は宝永二年(一七〇五)に本栖の口留番所から移ってきた。
 この番所の記録に残る大きな出来事に、天保七年(一八三六)郡内に端を発した甲州騒動の暴徒がこの地に押し寄せた折、防がずして門扉を開いた判断をとがめられ、番士が『扶持召し上げられ』の処分を受けたことである。番士のうち二宮氏は再び職に戻り、明治2年番所が廃せられるまで勤め、明治六年に設けられた台ヶ原屯所の初代屯所長に起用されている。
 今は蔵一つを残し地割にわずかなおもかげを留めるのみであるが、番所で使用した袖がらみ、刺股六尺棒などの道具が荒田の伏見宅に残り、門扉一枚が山口の名取宅に保存されている。  」