紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-04-19から1日間の記事一覧

十三峠の尻冷やしの地蔵尊

案内板 「 十三峠 尻冷しの地蔵尊 昔の旅人にとって道中の飲み水は大切でした。山坂の多い十三峠では特に大切であり、ここの清水は大変貴重とされました。この地蔵尊はそんな清水に感謝して建てられたものですが、ちょうど清水でお尻を冷しているように見え…

十三峠の三十三観音

案内板 「 十三峠の三十三観音 険しい山坂の連続である十三峠は、旅人ばかりでなく、宿や助郷の人馬役のものにとってもたいへんな道でした。この観音仏は道中安全を祈って建てられたものですが、寄進者の中に定飛脚才領中や中馬連中の名もあり、中山道にある…

三十三所観音石窟

案内板 「 歴史の道 中山道 三十三所観音石窟 大湫宿と大井宿の間の三里半(約十三、五km)は、険しい山坂の連続する『十三峠』と呼ばれる尾根道で、中山道を行き交う人馬が難渋した場所でした。 ここには、道中安全を祈って天保十一年(一八四〇)に建立された…

十三峠の巡礼水

案内板 「 十三峠の巡礼水 旅の巡礼がここで病気になったが、念仏によって水が湧き出して生命が救かったと伝えられています。 僅かな清水ですが8月1日に枯れることはないといい、旅人たちから『十三峠のお助け水』として大切にされてきたものです。 」 中山…

巡礼坂と馬頭様

案内板 「 歴史の道 中山道 巡礼水と馬頭様大湫宿と大井宿の間の三里半(約十三、五km)は「十三峠におまけが七つ」と呼ばれ、二十余りの山坂道をいい、中山道の中でも難所の一つでした。十三峠は、大湫宿東端の寺坂から、巡礼水の坂、権現山の一里塚、観…

権現山一里塚跡

案内板 「 権現山一里塚 江戸へ90里、京都へ44里という道標で、樫ノ木坂 一里塚とも呼ばれ、石畳とともに中山道当時の姿を偲ばせています。南塚は高さ約5m、 径約9m、 北塚は高さ約3.5m径約9mです。 慶長8~9年に十三峠の新設工事とともに築かれた ものであり…

炭焼立場

案内板 「 歴史の道 中山道 炭焼立場跡(いわやきたてばあと) 立場というのは、馬のつなぎ場を備えた休憩所のことです。小さな広場と湧水池があり、旅人や馬の喉を潤しました。太田南畝(蜀山人)が享和二年(1802)に著した『壬戌紀行』に『俗に炭焼の五郎坂…

観音坂と馬頭様

案内板 「 歴史の道中山道 観音坂と馬頭様 大井宿と大湫宿の間の三里半(約十三、五km)は、起伏にとんだ尾根道の連続で、『十三峠におまけが七つ』とも言われ、中山道の中でも難所のひとつでした。 ここは観音坂と呼ばれ、瑞浪(みずなみ)市の東の端、釜戸(か…

ここは 中山道 深萱立場

案内板 「 ここは中山道 深萱立場 深萱立場には数軒の茶屋があり、多くの旅人たちの憩の場となっていた。 特に立場本陣は和宮をはじめ多くの姫君や大名行列の殿様が御小休みされた家である。この道は大井宿と大湫宿の三里半(約14km)を結び十三峠という。 尾…

藤村高札場跡

藤村高札場跡 案内板 「 藤村高札場 恵那市 恵那市教育委員会 高札場は村のうち人通りが多く目につきやすい場所に、一村一か所建てるのが普通であるが、この藤村や竹折村のように二か所に建てた村もある。高札には親子・キリシタン・毒薬・火付・徒党・駄賃…

紅坂のぼたん岩

案内板 「 『紅坂のぼたん岩』みなさんの足元にある直系5m程の岩が上から見ると『ぼたんの花』に見えることから『紅坂のぼたん岩』として江戸時代から有名でした。『日本一多数の人から踏まれた岩』です。学術的には、花こう岩の『タマネギはく離(オニオンク…

紅坂一里塚跡

案内板 「 紅坂一里塚 一里塚は、慶長9年(1604年)徳川幕府の命によって東海、東山、北陸の3道に各一里(約4km)ごとに築かれた里程標で、土くずれを防ぐため頂上には榎の木が植えられました。ここは、紅坂一里塚といいここから江戸へ89里、京へ45里といわれま…

乱れ坂 乱れ橋

案内板 「 乱れ坂 と乱れ橋 大井宿から大湫宿までの三里半(約14km)には、西行坂 や権現坂 など数多くの坂道があり、全体をまとめて十三峠という。乱れ坂も十三峠の一つで、坂が大変急で、大名行列が乱れ、旅人の息が乱れ、女の人の裾も乱れるほどであった…

首なし地蔵

案内板 「 首なし地蔵 この地蔵様は宝暦六年(1756)地元勢(武並町美濃)の人たちが、旅行者の道中安全を祈って立てたものである。 その後地蔵様は、下街道沿いの丘の上に移され、春の桜の頃に地元の人たちが集まって、盛大な祭典を行っている。 この地蔵様には…

下街道

案内板 「 下街道 中仙道を上街道といい、ここで分かれて下る道を下街道と呼んだ。 下街道は竹折・釜戸から高山(現土岐市)・池田(現多治見市)を経て名古屋へ行く道である。 この道は途中に内津峠の山道があるが、土岐川沿いの平坦地を進み、付近には人家も多…

下街道

案内板 「 下街道 中仙道を上街道といい、ここで分かれて下る道を下街道と呼んだ。 下街道は竹折・釜戸から高山(現土岐市)・池田(現多治見市)を経て名古屋へ行く道である。 この道は途中に内津峠の山道があるが、土岐川沿いの平坦地を進み、付近には人家も多…

槙ヶ根立場跡

案内板 「 槙ヶ根立場 ここは中山道槙が根追分である。 東へ七本松坂や西行坂を下って中野村を過ぎ、阿木側を渡れば大井宿であり(この間約一里)、西別川約二里半(約一〇キロメートル)深萱立場や炭焼場の十三峠を越せば大湫宿である。 ここで中山道と分かれて…

伊勢神宮遙拝所

伊勢神宮遙拝所 案内板 「 伊勢神宮遙拝所 京都から江戸へ旅をした秋里離島は、その様子を文化二年(一八〇五)に『木曽名所図絵』といつ本に書いた。 そしてその挿絵に槙ヶ根追分を描き、追分灯籠の横に注連縄を張った小社を書いている。 ここにある礎石は絵…

槙ヶ根立場茶屋跡

槙ヶ根立場の茶屋 案内板 「 槙ヶ根立場の茶屋 江戸時代の末頃ここには槙本屋・水戸屋・東国屋・松本屋・中野屋・伊勢屋などの屋号を持つ茶屋が九戸あった。そして店先にわらじを掛け、餅を並べ、多くに人がひと休みしてまた旅立って行ったと思われる。(旅人…

伝西行塚

伝西行塚 案内板 「 伝西行塚 丘陵上に五輪塔があり、これが古くから西行塚と伝えられています。慶長19年(1614)に記録された『長国寺縁起』には西行の終焉の状況が細かく記されており、それを根拠に西行の墓と信じられてきました。『壬戌紀行』をはじめ、中…

槙ヶ根一里塚跡

槙ヶ根一里塚跡 案内板 「 槙ヶ根一里塚 一里塚は、一里(約4キロ)ごとに街道の両側に土を盛り、その上に榎を植えて旅人たちに里程を知らせた塚である。戦国時代の末(16世紀後半)には、山陽道の備中の河辺から北九州肥前名護屋のあいだに築かれたとい…

西行苑

案内板 「 西行 苑西行苑は、平安時代末の高名な歌人西行(法名円位、俗名 佐藤義清(のりきよ) 1118-1190)をしのんで整備された公園で、ここには西行が葬られたと いう岐阜県指定史跡西行塚(五輪塔が立つ)や、西行の歌碑、芭蕉の句 碑が並んでいます。 定説で…

中山道 大井宿

案内板 「 中山道 大井宿 中山道は江戸幕府が進めた五街道(東海道・中山道・日光道中・奥州道中・甲州道中)の一つで、中部山地を越えて江戸から京都へ通じていた。この街道は木曽を通るため木曽街道とも呼ばれ、また江戸の将軍家に嫁ぐ公家の姫宮が通行した…

西行硯水

西行硯水 案内板 「 西行硯水 (さいぎょうすずりみず) 文治二年(1186)西行は二度目の奥州の旅に伊勢を出発した。鎌倉で源頼朝に会い、平泉で三年滞在した後、木曽路を経てこの地を訪れ、三年間暮らしたといわれる。歌人である西行は、大久の歌を詠み、こんこ…

浸水防止壁

案内板 「 浸水防止壁 田違川は長島橋の近くで永田川に直角に流れ込んでいた。そのため洪水のたびに田違川は永田川を堰き止め、水は道路にあふれて本町通りへも流れて付近の人家に浸水した。そこで道の両側に石柱を立て、板をはめて浸水を防ぐことにした。 …

中野村庄屋の家(本酒屋)

中野村庄屋の家(本酒屋) 案内板 「 中野村庄屋の家(本酒屋) 中野村庄屋の家で、 屋号を本酒屋といいました。文久元年(1861)、皇女和宮が降嫁し、中山路を通って江戸へ 下ることになりました。その準備に中山道の各宿場はおおわらわでした。当時大湫宿の の助…

中山道大井宿と駅前の近代化

案内板 「 中山道大井宿と駅前の近代化 盆地の底の平坦地にある大井の町場は、周囲の山間農村を結ぶ道路の結節点として、 人や物が行き交う交通上の要衝となっていた。江戸時代には中山道の宿駅(大井宿)としての役割を担ったことから、旅籠屋や商家が増えて…

大井宿 枡形出口 大津屋

枡形出口 大津屋 お菓子が大好きで、お菓子屋さん巡りをしているという「笹団子のひとりごと」というブログより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓恵那・かつての中仙道の宿場町・大井・には中仙道に面した大津屋という和菓子屋さんがあります。 栗の町・恵那らしく栗きんとんなど栗…

中山道大井宿のあらまし

中山道大井宿のあらまし 案内板 「 中山道大井宿のあらまし 中山道大井宿は、江戸から約87里(344km)46番目の宿場で、京都へは47里余(188km)のところにある。中山道と名古屋・伊勢に向かう下街道の分岐点である槙ヶ根追分に近く、中山道の旅人のほか、伊勢参…

市神神社

市神神社 恵那市公式観光サイト「え~な恵那」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓市神神社の七日市お正月の七日に開催される大井町の市神神社の例祭で、349年の伝統を誇る。 市神神社は福の神とされ、七日市にはお札さまを迎えて、1年間の家内安全と商売繁盛を祈る。 ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑