案内板
「この番所がいつ設けられたかは詳しい記録はないが、尾張藩が享保十六年(一七三一)茄子川下新井に『川並番所』を設置した記録があるのでこれに対応して設けられたものであろう。
寛政元年(一七八九)の『中山道筋路之記(すじみちのき)』には『番所錦織(にしきおり)役所支配』とあります。尾張藩の直轄地であった木曽山から採伐した材木のゆそうは重量材(丸太類)は木曽川を利用して流送し、軽量材の榑木(くれ)、土居(どい)等白木類は牛、馬による駄送の方法が採られていました。
木曽川筋には各所に『川番所』が、中山道には『白木改番所(しらきあらためばんしょ)』が設けられ、抜け荷の監視と量目の点検など厳しい取締りが行なわれていました。
これ等の施設は明治四年(一八七一)廃藩置県の措置によって廃止されました。
平成六年四月十五日
坂本地区文化遺産保存会 」