紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

贄川関所

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塩尻市観光協会ホームページより

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贄川関所

中山道の人と物の往来を監視するために置かれた贄川口留番所で、女改め、白木改めなどの役割を担った。
明治はじめに取り壊されたが、多くの文献をもとに昭和51年に復元された。
実際の場所は鉄道敷地内になっている。
中山道の交通に関わる資料などを展示。

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案内板
贄川関所

贄川関所は明治二年福島関所とともに廃止され、建物も取り壊されました。現在の建物は、寛永4年の『覚』○○○明治九年発行『贄川○誌』の『古関図』を元に復元したものです。
なお、当時の関所○○の位置より西側に○○東を向いて建っていました。 」


JAPAN WEB MAGAZINEより

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贄川駅から歩いてすぐ、中山道贄川宿の北の端にあるのが、贄川関(贄川関所)だ。木曽路の最初の宿場である贄川宿において、福島関の補助的な関所として設けられ、1869年(明治2年)に関所が廃止されるまで、江戸時代を通して女改めや白木(木材)などの流通の監視など、重要な役割を果たした。

贄川の集落は、昭和5年に起きた大火で大半が焼失。この贄川関所は、昭和51年に様々な文献を元に関所があった場所のそば(実際の場所は現在のJR敷地内)に間取りや敷地面積も忠実に復元されたもので、現在、関所関連の資料を展示するほか、階下の木曽考古館では縄文時代の土器・石器なども展示している。

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