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贄川関所
中山道の人と物の往来を監視するために置かれた贄川口留番所で、女改め、白木改めなどの役割を担った。
明治はじめに取り壊されたが、多くの文献をもとに昭和51年に復元された。
実際の場所は鉄道敷地内になっている。
中山道の交通に関わる資料などを展示。
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案内板
「 贄川関所
贄川関所は明治二年福島関所とともに廃止され、建物も取り壊されました。現在の建物は、寛永4年の『覚』○○○明治九年発行『贄川○誌』の『古関図』を元に復元したものです。
なお、当時の関所○○の位置より西側に○○東を向いて建っていました。 」
JAPAN WEB MAGAZINEより
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贄川駅から歩いてすぐ、中山道の贄川宿の北の端にあるのが、贄川関(贄川関所)だ。木曽路の最初の宿場である贄川宿において、福島関の補助的な関所として設けられ、1869年(明治2年)に関所が廃止されるまで、江戸時代を通して女改めや白木(木材)などの流通の監視など、重要な役割を果たした。
贄川の集落は、昭和5年に起きた大火で大半が焼失。この贄川関所は、昭和51年に様々な文献を元に関所があった場所のそば(実際の場所は現在のJR敷地内)に間取りや敷地面積も忠実に復元されたもので、現在、関所関連の資料を展示するほか、階下の木曽考古館では縄文時代の土器・石器なども展示している。
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