碑文
「番場宿
番場宿(ばんばしゅく)は、現在の宮西町二・四・五丁目の一部(旧甲州街道 沿い)に集落の中心があった宿場です。この宿場は、もとの名を茂右衛門宿 といいます。これは、この土地が名主茂右衛門 によって開発されたことによります。番場宿と称するようになったのは寛永十三年(一六三六)のことといわれています。幕末の地誌『新編武蔵風土記稿』には、「家数百三件、(甲州)街道の左右に簷を連ね」とあります。もともと番場宿は、ハケ沿いの甲州古街道筋にありましたが新街道の設置(慶安頃=一六四八~五二)に伴って移転したものです。
地名の起こりは、不明ですが、馬場の転訛とか、番所があったからとの説があります。
この地域には、高安寺、長福寺 などの古刹があります。」