紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

権現の森

案内板
「 市指定史跡
    権現の森
      昭和五十八年四月二十六日指定

 江戸から甲府までの甲州道中(甲州街道)が下諏訪まで延長されたのは慶長十五年(一六一〇)ごろである。そのころここは青柳宿といい、この権現の森の北西に家が並んでいたが、たびかさなる宮川の洪水や慶安三年(一六五〇)の大火を機に南方の現在地に移転し、翌四年に金沢宿と宿名を改めた。この宿場は、山浦方面や松倉峠(金沢峠)を越して高遠方面に通ずる分岐点として、交通上、物資の流通上重要な所であった。
 文化二年(一八〇五)に金沢宿より幕府に提出した『御分間御絵図御用宿方明細書上帳』に、『宿持鎮守 除地 拾六四方金山權現森壱ヶ所石御祠御座候 但江戸ヨリ右之方往還ニ御座候』とあり、権現の森と石祠についての報告がされている。
 参道正面に祀られているのがこの石祠で、建立は承応三年(一六五四)である。青柳宿が移転して金沢宿と名を改めた三年後のことである。金山権現は、祭神は金山彦命で、山の神である。
武田信玄の開発した金鶏金山との関係が考えられ、当時すでに祀られていたのではないかと考えられる。
 石祠の左右には、江戸中期より庶民の信仰として祀られた御嶽座王大権現・庚申・矜羯羅童子と制吨迦童子の脇侍をともなう不動明王・摩利支天・甲子・秩父板東西国巡礼供養塔・津島牛頭天王・大六天・如意輪観音・蚕玉大神・道祖神石祠・石燈籠など大正期までの石造物二十数基が祀られている。
 また、石祠建立のころの植樹と思われるサワラの古木が残存し、森に趣を添えており、信仰の場、また憩いの場として今も江戸時代の名ごりを留めている貴重な場所である。

   平成十七年七月 

      茅野市教育委員会  」