紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

市守大鳥神社 由緒

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神社紹介サイト「神社と御朱印」より

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御由緒:1590(天正18)年、豊臣秀吉の小田原討伐において八王子城は落城し、当地を所領としていた後北条氏が滅亡する。
その後江戸に移封となった徳川家康は、八王子を甲州方面に対する軍事拠点と位置づけ直轄地とした。
武田家旧臣の大久保長安が代官頭となって再整備の任にあたり、旧八王子城下の住民を移住させて甲州街道沿いを開発した。
結果、横山之庄(現在の横山町・八日町・八幡町一帯を指す地名)には、四代将軍徳川家綱の頃(1650年代)までに、甲州街道に沿って連なる街道中最大の宿場町「八王子十五宿」(八王子横山十五宿)が完成している。
そして横山宿では毎月四の付く日に、八日市宿では八の付く日に「六斎市」という市が開かれるようになる。
この市を守護する市神として倉稲魂命が奉斎されたのが、市守神社の創祀である。
市守神社の縁起には「当社神実の覆筥裏面に人皇五代孝照天皇勅願と記載これあり並びに長田作左衛門とあり、これ北条氏照の家臣長田氏の守護神にして京都伏見稲荷の分霊ならん」とあり、市神社、市守稲荷、出世稲荷などと称された。
さらに江戸時代中期には、授福開運の神として天日鷲命が配祀される。
なお、市守神社に八王子宿開宿の功労者・長田作左衛門を併祀したとする説や、大鳥神社の祭神を日本武尊とする説もある。
1945(昭和20)年の空襲で焼失したのち、再建されている。
1956(昭和31)年7月28日に八王子市の指定史跡・旧跡となった。
現在は八幡八雲神社兼務社であり、2月の初午には市守神社例大祭が執行される。
また、11月酉の日は大鳥神社例大祭日とされ、境内では酉の市が開かれる。

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