案内板
「 笹子峠
徳川幕府は慶長から元和年間にかけて甲州街道(江戸日本橋から信州諏訪まで約五十五里)
を開通させました。
笹子峠はほぼその中間で江戸から約二十七里(約百粁)の笹子宿と駒飼宿を結ぶ標高壱千五十六米、上下三里の難所でした。
峠には諏訪神社分社と天神社が祀られていて広場には常時、馬が二十頭程繋がれていました。峠を下ると清水橋までに馬頭観世音、甘酒茶屋、雑事場、自害沢、天明水等がありました。また、この峠を往来した当時の旅人を偲んで昭和六十一年二月十二日、次のような唄が作られ発表されました。
あれに白いは コブシの花か
峠三里は 春がすみ
うしろ見返りゃ 今来た道は
林の中を 見え隠れ
高くさえずる 妻恋雲雀
おれも歌おうか あの歌を
ここは何処だと 馬子衆に問えば
ここは甲州 笹子道
この唄の発表によって旧道を復元しようという気運が高まり昭和六十二年五月、清水橋から
峠まで地域推進の一環として、日影区民一同と大和村文化協会の協力によって荒れていた旧道を整備して歩行の出来る状態にしました。
佐藤 達明 文 」