紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

茄子川焼

茄子川焼

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案内板
「 茄子川焼

茄子川焼は天正六年(一五七八)の頃、瀬戸の加藤吉右衛門が諏訪の前窯場に来て、施釉(ゆう)陶器を焼いたのがはじめといわれています。
天保三年(一八三二)広久手の丹羽久右衛門が先年より始めた陶器作りの改良を図り、土岐郡妻木村の加藤喜兵衛を師匠に迎えて磁器製造を起こしました。同八年篠原利平治が同じ広久手で陶器作りをはじめ、同十四年には諏訪の町で安田新吉が土地の人々に呼びかけて、磁器製造を興しました。
茄子川焼が発展してのは弘化二年(一八四五)篠原利平治が越中(富山県)から来た水野粂造と共同で五室の連房式登り窯を築いてからであります。人気があったのは陶土になまこ釉をかけて焼成した、独特な風雅な味をつくり出した奥州の相馬焼きに似た『茄子川相馬』でありました。
明治に入って窯株制度が廃止になると、鯉ヶ平の藤井久左衛門が鈴木栄八と共同で、久谷の職人を呼び寄せて、茄子川焼ではめずらしい久谷風の茶器などを焼きました。
販路は木曽、伊那、松本方面が多く、中山道を旅する人々には峠の茶屋や窯元でも売っていて、村の重要産業として明治末期まで続きました。
平成元年八月二十六日建之
坂本地区文化遺産保存会 」