茄子川案内板
案内板
「 中山道 茄子川
江戸時代初期の茄子川村は、御三家筆頭の尾張徳川家とその給人の山村氏(木曽方)、千村氏(久々利方)、それに旗本馬場氏ら八名の入相支配地であり、村高千三百六十八石余は、この付近でも大きな村の一つであった。
中山道は村内を東西に縦貫し、中町通りの西はずれにある常夜燈は、安永五年(一七七六)に建てられ、『是れよりあきはみち』と刻まれている。この常夜燈が、遠州秋葉道との分岐点となっていた。
ここから中津川宿まで一里二十三町十一間(約六・四km)、大井宿までは一里(約四km)の距離だった。両宿の距離は二里半六町(約一〇・五km)、中津川・落合両宿間一里弱とくらべると長丁場(ながちょうば)のため、ここに茄子川御小休所(篠原家)がおかれ、大名・姫宮通行などの休憩所の役割を果たした。