紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

茄子川案内板

茄子川案内板

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案内板
中山道 茄子川

江戸時代初期の茄子川村は、御三家筆頭の尾張徳川家とその給人の山村氏(木曽方)、千村氏(久々利方)、それに旗本馬場氏ら八名の入相支配地であり、村高千三百六十八石余は、この付近でも大きな村の一つであった。
中山道は村内を東西に縦貫し、中町通りの西はずれにある常夜燈は、安永五年(一七七六)に建てられ、『是れよりあきはみち』と刻まれている。この常夜燈が、遠州秋葉道との分岐点となっていた。
ここから中津川宿まで一里二十三町十一間(約六・四km)、大井宿までは一里(約四km)の距離だった。両宿の距離は二里半六町(約一〇・五km)、中津川・落合両宿間一里弱とくらべると長丁場(ながちょうば)のため、ここに茄子川御小休所(篠原家)がおかれ、大名・姫宮通行などの休憩所の役割を果たした。

中津川市教育委員会