紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

中山道赤坂宿散策マップ

中山道赤坂宿散策マップ

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中山道赤坂宿散策マップ
「 赤坂宿

赤坂宿は、かつて中山道六十九次の57番目の宿場町として栄え、東西に連なる町筋には、本陣・脇本陣をはじめ旅籠屋17軒と商家が軒を並べ、美濃国の宿場町として繁盛していました。
現在もその古い建造物や数多くの史跡が多く残されています。また、赤坂宿には、谷汲街道・養老街道が通っており、分岐点である四ツ辻には道標が建てられています。
明治年間には杭瀬川の豊富な水量を利用した舟運交通が最盛期を迎え、赤坂宿の東端にある赤坂港が重要な役割を果たしていました。


①赤坂港跡(あかさかみなとあと)

1530年まではここが揖斐川の本流でした。明治になって500隻余の船が切開を運ぶために利用していました。現在は親水公園として親しまれています。


②赤坂本陣公園(本陣跡)

江戸時代大名が参勤交代など通行の際宿泊した本陣(高級旅館)があったところ。敷地約800坪、建坪239坪、岐阜県では中津川についで2番目の大きい。1861年10月皇女和宮が将軍家茂に嫁ぐ際にも宿泊しました。現在は建物もなく、公園として整備されています。中には新しく幕末の志士、所郁太郎の功績を顕彰した銅像和宮を偲ぶ顕彰碑があります。


③四ツ辻周辺

谷汲道標をはじめ、矢橋家や脇本陣、本陣跡など歴史的な建物や史跡が集積し、宿場風情が最も色濃く残っています。


お茶屋屋敷周辺

お茶屋屋敷は徳川家康が上洛のために作った休憩宿泊所。中山道に唯一残る史跡。その東側の脇道は生垣や庭木などが多く緑豊かな景観があります。


⑤旧街道の景観(宿場景観)

赤坂地区は、東西に走る旧中山道、四ツ辻から北に伸びる旧谷汲街道、南に伸びる旧養老街道の3本の旧街道によって形作られています。旧街道沿いには宿場町としての歴史を伝える建物が数多く残されています。特に、四ツ辻以西では統一された屋根並みを見ることができます。 」