紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

中山道 大井宿

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案内板
中山道 大井宿

中山道江戸幕府が進めた五街道(東海道中山道日光道中奥州道中甲州道中)の一つで、中部山地を越えて江戸から京都へ通じていた。この街道は木曽を通るため木曽街道とも呼ばれ、また江戸の将軍家に嫁ぐ公家の姫宮が通行したので姫街道とも呼ばれた。姫宮の通行では、文久元年(1861)の和宮の降嫁の大通行が名高い。
東海道が海沿いの平坦な街道であるのに対して、中山道は山間部を通るため道が険しく、距離も長い中山道の宿駅は江戸の板橋宿から近江の守山宿まで67宿であるが、東海道の宿駅である草津、大津の両宿を入れて69宿という場合もある。江戸から京都までは132里10町(約520km)で、1日7里から10里(25km~40km)歩いたとして13日から18日の行程である。
大河川を渡ることの少ない中山道では川止めを受けることはまれで、好んでこの道を通る人もあった。しかし、碓氷峠和田峠鳥居峠・十三峠といった詳しい峠や山道が多く旅人にとって困難な街道であった。
美濃を通る中山道はおよそ30里(約120km)で、落合・中津川・大井・大湫・細久手・御嵩・伏見・太田・鵜沼・加納・河渡・美江寺・赤坂・垂井・関ヶ原・今須の16宿があった。大井宿は、名古屋、伊勢に向かう下街道の分岐点に位置する交通の要衝であり、中山道46番目の宿場として41軒の旅籠が立ち並び、美濃16宿中随一のにぎわいを誇った。
現在、かつての大井宿は恵那市街地の一画を成しているが、今でも他の宿場には例のない6か所の枡形、本陣の門と松、旧旅籠屋などの建物がみられる。大井宿から西の武並町深萱までの中山道は、昔日の面影をよく残し、西行硯水、西行塚、槙ヶ根一里塚、槙ヶ根追分、姫御殿跡、紅坂一里塚など史跡も多い。

恵那市
恵那市教育委員会