紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-04-21から1日間の記事一覧

梅田吉道家住宅(茗荷屋)

梅田吉道家住宅(茗荷屋) 案内板 「 梅田吉道家住宅 (茗荷屋)梅田吉道家住宅は中山道鵜沼宿 に面する住宅で、江戸時代は『茗荷屋』という屋号で旅籠を営んでおり、現在の建物は約一六〇年前に建てられ、濃尾震災 にも耐えたとされている。中山道鵜沼宿で唯…

鵜沼宿 坂井家住宅(丸一屋)

坂井家住宅(丸一屋) 案内板 「 坂井家住宅(丸一屋) 坂井家住宅は中山道鵜沼宿に面する住宅で、主屋は建築時の契約書が残っており、明治二十七年の建物である。中山道に向かって門を構え、前面に塀をめぐらしている。 主屋は門を入った正面に切妻造りの破風を…

鵜沼宿脇本陣跡

中山道鵜沼宿脇本陣跡 各務原市ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓中山道鵜沼宿脇本陣 中山道鵜沼宿の脇本陣は、宿駅制度が廃止された明治時代以降もその姿をとどめていましたが、明治24年(1891年)の濃尾震災で倒壊したと伝えられます。 当脇本陣は、江戸時代末期…

中山道鵜沼宿と芭蕉

と芭蕉 案内板 「 中山道鵜沼宿と芭蕉 貞享二年(1685)、『野ざらし紀行 』 途中の松尾芭蕉 は、鵜沼を訪れ脇本陣 坂井家に滞在したと伝えられています。 その後、貞享五年(1688)七月頃、 芭蕉は再び脇本陣坂井家を訪れ、 汲溜の水泡たつや蝉の声の句を詠…

鵜沼宿本陣跡

鵜沼宿本陣跡 案内板 「 鵜沼宿本陣跡鵜沼宿 の本陣 は、江戸時代を通じ桜井家が務めていました。江戸時代初期、この地に鵜沼宿が整備されて以来桜井家は本陣・問屋・庄屋の三役を兼ねていたと伝えられています。 寛延二年(一七四九)十代将軍家治に興入れし…

菊川酒造

菊川酒造 菊川酒造ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓創業明治四年 本陣の正面でもあるこの場所には、江戸時代には河内屋という旅籠がありました。河内屋は絹屋の本家に当たる家です。この河内屋の井戸水は水質がよかったのか、皇女和宮が通行する際にお食事用の水…

中山道鵜沼宿町屋館

中山道鵜沼宿町屋館 案内板 「 中山道鵜沼宿町屋館 由来 当館は、江戸時代に『絹屋』という屋号で旅籠を、明治の初めから昭和三十年代まで郵便局を営んでいた旧武藤家住宅です。平成十八年、各務原市が建物の寄付を受けて公開しています。 屋敷は中庭を囲む…

鵜沼宿 飯茶屋宇留摩庵

飯茶屋宇留摩庵 「中山道鵜沼宿 釜めしの店 花の木ブログ」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓宇留摩庵 一服茶屋『花の木』は、各務原市鵜沼のお食事処。中山道・鵜沼宿のなかほど、昭和初期に建てられた商家を改修した『宇留摩庵』(うるまいおり)。ゆったりとした時間を一服…

鵜沼宿問屋場跡

案内板 「 鵜沼宿問屋場跡 鵜沼宿には、江戸時代を通じ東町と 西町にそれぞれ一カ所問屋場がありま した。東町では野口家が代々この地で 問屋場を務めました。 『中山道宿村大概帳 』天保十四年 (一八四三)に『問屋場二カ所にて、一日代り継立て、問屋一人…

うとう峠の一里塚跡

案内板1 「 市指定史跡 旧中山道うとう峠一里塚慶長五年(一六〇〇)、関ヶ原の戦いに勝利をおさめたた徳川家康は慶長六年に東海道各宿に対し伝馬制を敷き、宿駅制の準備に着手しました。 美濃を通る中山道では、慶長九年(一六〇四)に大湫(おおくて)宿、…

中山道 案内板

案内板 「 中山道 中山道は、太田宿からの現在の国道21号線の坂祝、各務原境までは木曽川に沿っておりました。しかし、この作品を鵜沼までが大変急傾斜の危険な場所であったため、ここから山合いに入りこみ、うとう峠を越えて鵜沼宿につながっていました。 …

岩屋観音由来

岩屋観音由来 案内板 「 岩屋観音由来無極慧徹 (むごくえてつ)禅師は応永 十四(1407)年 相州最乗寺 での修 行を終え故郷肥前に帰る途中猿啄城 の 城主西村善政 の母である伯母を尋ねて この地に立寄った善政は無極禅師の道德 に深く帰依し関市下有知に龍…

太田宿 渡しの広場

太田宿 渡しの広場 案内板 「 太田宿 渡しの広場 Ota-juku Watashi no Hiroba 中山道 51 番目の宿場町『太田宿』は、街道を行き交う人々が木曽川を船で 渡る『太田の渡し』があったことで、町として大いに栄えました。 この『太田宿渡しの広場』は、そんな『…

日本ライン 行幸厳

日本ライン 行幸厳 案内板 「 名所 行幸巌(みゆきいわ) “日本ラインの景を知らずして河川の美を語るべからず”と言われた如く、正にラインの名にそむかず奇勝千変万態、水、狂うかと見ればまた油の如く渦をなして流れ、軽舟飛沫をあびて下る。 対岸に迫るは鳩…

兼松嘯風句碑 「 山間の雪の中ゆく筏かな」

兼松嘯風句碑 「 山間の雪の中ゆく筏かな」 案内板(石碑) 「 兼松嘯風略歴 通称甚蔵 加茂郡深田の人 承応三年 生家富家 俳諧を好み 澤露川に師事し、東美濃俳壇芭蕉門の老先輩たり。初句は ころころと 臼引きあるく よさむ哉 が、元禄九年の <浮世の北> に…

坪内逍遙ゆかりのムクノキ

坪内逍遙ゆかりのムクノキ 案内板 「 坪内逍遙 ゆかりのムクノキ 坪内逍遙(一八五九~一九三五)は安政六年、尾張藩太田代官所の役人であった平之進の十人兄妹の末子として生まれました。 その後、明治二年父の引退にともない、太田を離れた逍遥は、名古屋…

虚空蔵堂

虚空蔵堂 案内板 「 虚空蔵堂 と承久の乱 古戦場跡 Kokuzodo / Jokyu-no-Ran Kosenjo Ato (Site)中山道を江戸から京へ向かうとき、太田宿の西の出口に虚空蔵堂はあります。 天明2年(1782)の『加茂郡太田村絵図 』には既に描かれており、当時から信仰の対象…

高札場跡と郡上街道追分

高札場跡と郡上街道追分 案内板 「 高札場 跡と郡上街道 追分 Kosatsuba Ato (Site) / Nakasendo-Gujo Kaido forked place高札は、法度 ・禁令 、犯罪人の罪状などを記し、交通の多い辻などに掲げた板の札です。一般の人々に知らせる目的で立てられました。…

太田宿 福田本陣跡本陣門

福田本陣跡本陣門 案内板 「 美濃加茂市指定有形文化財 旧太田宿本陣門 旧太田宿の中心にあった旧本陣は、宿場の仲町の現在の場所にありました。明治時代になると旧本陣には太田町役場がおかれ、町の中心的存在でした。現在、旧本陣の面影はありませんが、こ…

ぎふ17宿 太田宿

案内板 「 太田宿 中山道五十一番目の宿場となる太田宿は、中山道の三大難所の一つに数えられた『太田の渡し』があり、飛騨街道と郡上街道の分岐点でもあったところから、大いに栄えました。現在も国重要文化財の旧脇本陣林家住宅をはじめ、旧太田宿本陣門や…

愛の聖地 太田宿

愛の聖地 太田宿 案内板 「 ~愛の聖地 太田宿~ 太田宿中山道会館のパワースポットと言われる榎(えのき)の大木。その枝に青々とした緑のボール状の樹形がヤドリギです。大地に根を張らず浮いたような姿は、榎に宿っているとわかっていても不思議な植物です…

太田宿のエノキとヤドリギ

太田宿のエノキとヤドリギ 案内板 「 中山道太田宿 のエノキ とヤドリギ 太田宿中山道会館内にそびえるエノキとヤドリギは、樹高十八m、幹周三・三ニmで市指定の保存樹 に平成十七年八月五日に指定されています。このエノキとヤドリギは、かつて栄えた宿場町…

中山道分間延絵地図

「 中山道分間延絵地図 この『中山道分間延絵地図』(正式には『五街道其外分間延絵並見取絵図』の一部)は、江戸幕府により中山道など五街道とその主要な脇街道の実態を把握するために作成されたものです。幕府の記録によると、道中奉行の直轄事業として寛政…

太田宿 御代梅醸造

御代梅醸造 御代桜ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓明治二十六年の創業以来、百有余年…中山道五十一次の太田宿は、飛騨、木曽両川の合流点直下の木曽川畔に位置し、中山道の三大難所「木曽の桟、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」と馬子唄にもある急流・太田の渡…

太田宿 魚徳

魚徳 魚徳商店ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓魚徳商店 鮎の甘露煮&海鮮丼「魚徳の鮎の甘露煮」 中山道五十一番目、太田宿に昭和二十年創業。先代から引き継ぐ秘伝のたれを使い丹精込めて作りました。炊く前に素焼 きの一手間を加える事で、より一層味に深みが…

旧旅籠小松屋と上町の枡形

旧旅籠小松屋と上町の枡形 案内板 「 旧小松屋 と上町の桝形 Komatsuya / Kan-machi Masugata太田宿 には、旅人を宿泊させる旅籠屋 や木賃宿 がありました. 天保14年(1843)の『中山道宿村大概帳 』によると『旅籠屋弐拾。内大三軒、中拾壱軒、小六軒』と記…

十六銀行旧太田支店跡

十六銀行旧太田支店跡 案内板 「 十六銀行 旧太田支店 この建物は、十六銀行太田支店 として明治40年12月に建設されました。 太田町から市町村合併 で昭和29年4月に美濃加茂市 が誕生し、その後、昭和40年10月まで58年間の長きに渡り地元の繁栄に貢献してき…

祐泉寺

祐泉寺 案内板 「 祐泉寺龍興山(りゅうこうざん)祐泉寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、寺伝によれば文明6年(1474)、土岐源氏・土岐頼政の次男、東陽英朝禅師(大道真源 だいどうしんげん)が湧泉庵という庵を結んだことにはじまるといわれています。 永正年間(1504…

法華経塚と飛騨街道追分

法華経塚と飛騨道追分 案内板 「 法華経塚と飛騨街道追分 Hokekyo-zuka / Nakasendo-Hida Kaido forked place 法華経塚 は、埋葬地(墓地 )の入口に建てられた石碑だったと言われています。 ここから少し東に行くと、飛騨高山へ向かう飛騨街道の追分があり…

彫刻 アメンホーク、水の断片

彫刻 アメンホークと水の断片 案内板 「 彫刻 左 アメンホーク 右 Water pieces(水の断片) 美濃加茂市では、1988年以来、『文化香るまち』『清流と彫刻のまち』をテーマに美濃加茂彫刻シンポジウムを実践してきました。 木曽川国定公園に面すこのライン沿い…