紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2024-10-01から1ヶ月間の記事一覧

おくのほそ道 日出山宿 奥州街道・岩城街道分岐点

案内板「 奥の細道日出山の宿―奥州街道・岩城街道分岐点 元録二年(一六八九)六月十六日(旧暦四月二九日)松尾芭蕉が岩城道を通って守山よりこの地、日出山に出ていることが奥 の細道、曽良の日記に『カナヤ(金屋)ト伝村へカリ、アブクマ川ヲ舟ニテ越、本通日…

「奥のほそみち」金屋の渡し跡

案内板「 『奥のほそみち』金屋の渡し跡 元禄二年(一六八九)四月二十九日(新暦六月十六日)に 須賀川を発った芭蕉は乙字滝を経て守山へ到着し、問屋 善兵衛から歓待されている。そして、大元明王へ参詣し、善法院で様々な宝物を拝観した後、金屋の渡しを渡っ…

田村神社

案内板「 田村神社 元禄二年四月二十九日(西暦一六八九年 六月十六日)須賀川を発つた松尾芭蕉と曽良は、ここ田村神社に参拝している。 当時、田村神社は大元師明王といい、 芭蕉らは種々の社宝を見ている。 社宝の一部は散逸したが、現在でも多く の重要文化…

「奥のほそみち」 大元明王参詣

案内板「 『奥のほそみち』大元明王(だいげんみょうおう)参詣 元禄二年(一六八九) 旧暦三月二十七日に江戸を発った芭蕉は四月二十九日(新暦六月十六日)に須賀川から 乙字滝を経て大元明王を参詣している。 曾良は次のように記している。 本実坊・善法寺へ…