案内板
「 『奥のほそみち』大元明王(だいげんみょうおう)参詣
元禄二年(一六八九) 旧暦三月二十七日に江戸を発った芭蕉は四月二十九日(新暦六月十六日)に須賀川から 乙字滝を経て大元明王を参詣している。 曾良は次のように記している。
本実坊・善法寺へ矢内弥市右衛門状遣ス則(すなわち)善兵へ
矢内二テ先大元明王へ参詣る 裏門より本実坊へ寄善法寺へ
案内シテ本実坊同道ニテ行村✓雪 哥仙絵讃宗鑑之由(かせんえさんそうかんのよし)見物 内人丸定家業平素性躬恆(ひとまるていかなりひらそせいみつね)五ふく智証大(ちしょうだい)し
并金岡(かなおか)がカケル不動拝ス探幽(たんゆう)ガ大元明王ヲ拝ム
本実坊は本願坊のことで東参道南側にあった。善法寺は善法院のことで東参道北側にあった。善法院は比叡山の 直末寺であったが、明治の神仏分離で廃寺となった。
芭蕉は善法院で雪村の歌仙絵五幅、智証大師(ちしょうだいし)と巨勢金岡 (こせのかなおか)の不動明王像を拝観しているが、今は散逸して残っていない。
芭蕉が拝んだ狩野探幽(かのうたんゆう)の描いた大元帥明王像は現在も 残っている。鎮守山泰平寺大元明王は明治の神仏分離で 廃寺となり、その本堂は現田村神社の本殿となっている。
本尊の聖観音菩薩像と大元帥明王像は今も本殿内の厨子(ずし)に 安置され、新暦一月十三日と旧暦六月十三日に狩野探幽作の画像 と共にご開帳される。
平成二十九年六月十六日
平成二十九年度公益信託うつくしま基金助成事業 」