紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

「奥のほそみち」 大元明王参詣

 

案内板
「  『奥のほそみち』大元明王(だいげんみょうおう)参詣


 元禄二年(一六八九) 旧暦三月二十七日に江戸を発った芭蕉は四月二十九日(新暦六月十六日)に須賀川から 乙字滝を経て大元明王を参詣している。 曾良は次のように記している。

  本実坊・善法寺へ矢内弥市右衛門状遣ス則(すなわち)善兵へ
  矢内二テ先大元明王へ参詣る 裏門より本実坊へ寄善法寺へ
  案内シテ本実坊同道ニテ行村✓雪 哥仙絵讃宗鑑之由(かせんえさんそうかんのよし)見物 内人丸定家業平素性躬恆(ひとまるていかなりひらそせいみつね)五ふく智証大(ちしょうだい)し 
   并金岡(かなおか)がカケル不動拝ス探幽(たんゆう)ガ大元明王ヲ拝ム


本実坊は本願坊のことで東参道南側にあった。善法寺は善法院のことで東参道北側にあった。善法院は比叡山の 直末寺であったが、明治の神仏分離で廃寺となった。 
芭蕉は善法院で雪村の歌仙絵五幅、智証大師(ちしょうだいし)と巨勢金岡 (こせのかなおか)の不動明王像を拝観しているが、今は散逸して残っていない。
 芭蕉が拝んだ狩野探幽(かのうたんゆう)の描いた大元帥明王像は現在も 残っている。鎮守山泰平寺大元明王は明治の神仏分離で 廃寺となり、その本堂は現田村神社の本殿となっている。

本尊の聖観音菩薩像と大元帥明王像は今も本殿内の厨子(ずし)に 安置され、新暦一月十三日と旧暦六月十三日に狩野探幽作の画像 と共にご開帳される。

   平成二十九年六月十六日

   郡山市田村町観光協会

平成二十九年度公益信託うつくしま基金助成事業     」