案内板
「 『奥のほそみち』金屋の渡し跡
元禄二年(一六八九)四月二十九日(新暦六月十六日)に 須賀川を発った芭蕉は乙字滝を経て守山へ到着し、問屋 善兵衛から歓待されている。そして、大元明王へ参詣し、善法院で様々な宝物を拝観した後、金屋の渡しを渡って 奥州街道へ出ている。
會良は次のように記している。
守山より善兵へ(ぜんべえ)馬ニテ郡山迄送ル カナヤと云村へカカり アブクマ川ヲ舟ニテ越本通日出山へ出ル 守山より郡山へ弐里余(にりよ) 日ノ入前郡山ニ到テ宿ス
守山の問屋善兵衛が馬で郡山まで送ったとある。
金屋の渡しは明治になり、阿武隈川に橋が架かったため、廃止となり、その跡が不明になっていたが、観光協会、 史談会、郷土史会の努力により、その跡が発見された。
『守山藩御用留帳(守山版ごようとめちょう)』などには、この渡しで起こった事件などが事細かく記されている。
平成二十九年六月十六日
平成二十九年度公益信託うつくしま基金助成事業 」