元録二年(一六八九)六月十六日(旧暦四月二九日)松尾芭蕉が岩城道を通って守山よりこの地、日出山に出ていることが奥 の細道、曽良の日記に『カナヤ(金屋)ト伝村へカリ、アブクマ川ヲ舟ニテ越、本通日出山へ出ル』と記されて いる。奥州街道と岩 城街道の分岐するこの地に『従是岩城道』弘化二巳年(一八四五)の道標と『おくのほそ道日出山の宿』の碑が建っている。
日出山の地は、奥州街道が岩城街道、会津街道と交叉する交通の要衝の地であったためか、子安観音堂地内には石造宝塔三尊塔婆(鎌倉時代)・地蔵菩薩半跏趺坐像(室町時代後期)・子安観音菩薩半跏趺坐像(江戸時代初期)が郡山市重要文化財に指定され、外に数点の仏像が堂内に安置されています。
文政七年(一八二四)頃には一五軒の旅籠があったと云われ、この地日出山には鎌倉時代以降仏教をはじめ、さまざまな文化が 脈々と息づいている事が窺い知ることができる。
平成二十六年十月六日
安積町郷土史研究会
平成二十六年度
公益信託うつくしま基金助成事業」