紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-04-01から1ヶ月間の記事一覧

片山半兵衛家

片山半兵衛家 案内板 「 片山半兵衛家片山家は、武佐宿と愛知川宿の中間に位置し、小休所として大名家等に利用された んだ。当家に残る資料によると享保17年(1732)松平大勝太夫様(長門国藩主 毛利氏)を初めとして、元治元年(1864)の尾州前大纳言様(名古屋藩…

市田庄兵衛家本宅 京町屋風商家の保存

市田庄兵衛家本宅 案内板 「 京町屋風商家の保存この建物は明治初期の建築で、江戸時代から呉服繊維商として京都、大阪で活躍した、市田庄兵衛家の本宅です。 奥に細長い京町家風の建築様式で、平成十三年に北町屋町が購入、保存、活用しています。(市指定…

明治天皇北町屋御小休所

明治天皇北町屋御小休所 案内板 「 明治天皇北町屋御小休所明治11年(1878)明治天皇が北陸東海巡幸の際に、10月12日高宮円照寺を発し、愛知川竹平で小休の後、市田太郎兵衛邸で小休し、武佐の広済寺に向かわれたんだ。 帰路は東海道を三重県に向かう予定だっ…

新堂町の常夜燈

新堂町の常夜燈 案内板 「 新堂町(しんどうちょう)の常夜燈基壇の部分に『右 京道』『左 いせ ひの 八日市』と刻まれているんだ。 新堂村(五個荘新堂町)を経て御代参街道へと至る分岐点のひとつを示すもので、天保15年(1844)9月の建立なんだ。 宝珠・請花・…

西澤梵鐘鋳造所

西澤梵鐘鋳造所 滋賀県ホームページ「こころに残る滋賀の風景」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓(株)西澤梵鐘鋳造所では、江戸時代から続く梵鐘づくりが昔ながらの鋳造方法で造られています。梵鐘の原料は銅と錫の合金で、鋳物の成形は全て手作業。一つの梵鐘を製作するには、…

五個荘と五箇荘

五個荘と五箇荘wikipediaで調べてみると、↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓五個荘町(ごかしょうちょう)は、滋賀県神崎郡にかつて存在した町。近江商人発祥地の一つとして知られる。(2005(平成17年)2月11日に近隣の町と合併し、東近江市となりました。)概要 古来より交通の要衝で…

松居家住宅洋館(旧五箇荘郵便局)

松居家住宅洋館(旧五箇荘郵便局) 滋賀報知新聞社 東近江・湖東ニュースより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓登録有形文化財に 五個荘の松居家住宅洋館 2008年12月14日(日) 第15214号|東近江・湖東 ニュース ◇東近江・五個荘 国の文化審議会(石澤良昭会長)は十二日、東近江市の…

小幡町御代参街道への道標

小幡町御代参街道への道標 案内板(三代目ごかしょうてんびん坊や)「 小幡町御代参街道への道標小幡町から奥町をへて八日市へ至る『御代参街道』への重要な分岐点で、『右 京みち』『左 いせ ひの 八日市みち』と刻まれているんだ。 享保3年(1718)丁酉(ひの…

中澤酒造

中澤酒造 案内板(三代目ごかしょうてんびん坊や) 「 中澤酒造中澤酒造は昭和23年(1948)小幡の地で創業されましたが、平成12年(2000)一旦休業しました。現蔵元の中沢一洋さんが、再開を模索していたところ、畑酒造の蔵元から誘いをうけ蔵人として研鑽を深め、…

東嶺禅師(とうれいぜんじ)生誕の地

東嶺禅師(とうれいぜんじ)生誕の地 案内板(三代目ごかしょうてんびん坊や)「 東嶺禅師生誕の地享保4年(1719)この地に生まれ、幼児より神童の誉れあり。9歳の時に自ら請うて五箇荘中町の齢仙寺を経て、能登川大徳寺に入り剃髪、出家されたんだ。 臨済宗中興…

中町出町の常夜燈

中町出町の常夜燈 案内板(三代目ごかしょうてんびん坊や)「 中町出町の常夜燈この灯篭は、対岸の祇園神社境内の西隅にある灯篭(弘化3年(1846)2月建立)と対峙しているもので、『にらみ灯篭』ともいわれ、愛知川を渡る人々の安全を守り、中山道を往還する旅…

愛知川東側の睨み灯籠

愛知川東側の睨み灯籠案内板 「 常夜燈 弘化三年(一八四六)に建てられたこの常夜燈は、総髙四・三五メートルで、基礎の四周には寄進者や石工の名が刻まれている。寄進者には愛知川宿の宿役人のほか、次宿、武佐の人々で構成される『武佐郷中』、伊勢参りの『…

日本料理 竹平楼(たけへいろう)

日本料理 竹平楼(たけへいろう) 竹平楼ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓創業宝暦八年、竹平楼は江戸時代から続く老舗の料理旅館です。 初代平八が「竹の子屋」の屋号で旅籠を営んだことに始まります。 明治十一年、三代目の平八の時に明治天皇が、民情視察のため…

愛知川ふれあい本陣

愛知川ふれあい本陣 「しがトコ」(滋賀を自慢したくなるローカルメディア)より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓【愛知川ふれあい本陣/滋賀県愛知郡愛荘町】町屋が軒を連ね、宿場町の雰囲気が残る中山道沿いに ノスタルジックな雰囲気が漂う、洋館の建物。 大正15年建築の旧近江銀…

むちん橋の由来 (愛知川宿)

むちん橋の由来 案内板 「 『むちんばし』の由来『旅人をあはれみかけてむちんばし、深き心を流す衛知川』 西園寺藤原実丈 (さいおんじふじわらさねたけ) この歌は愛知川宿の成宮家に家宝として残る一部。鈴鹿山系の水を集める幅二百余メートルの愛知川は、…

愛知川宿ポケットパーク 書状集箱

愛知川宿ポケットパーク 書状集箱 案内板 「 書状集箱 このポスト(書状集箱)は、明治4年(西暦1871年)郵便創業当時使用していたものと同じ型のものであり、「ポケット・パーク」が、町のシンボルとして、愛知川町は、かっての「木曽海道」六十九次の…

旧田中家住宅(近江商人亭)

旧田中家住宅(近江商人亭) 近江商人亭ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓国登録有形文化財に登録されました 旧田中家住宅(近江商人亭)は、近江鉄道愛知川駅の南東約300mに位置し、旧中山道に面する西側に奥行きの深い敷地に建っています。 現在は、平成6年に…

豊満神社への道標

豊満神社への道標 案内板 「 豊満神社への道標 道標は、平成二十七年一月二十六日に有形民俗文化財として町指定文化財に指定された。建立時期は不明であるが、文化三年(一八〇六)の『中山道分間延絵図(なかせんどうぶんけんのぶえず)』に記載があることから…

宇曽川と歌詰橋

宇曽川と歌詰橋 案内板 「 宇曽川と歌詰橋 宇曽川 宇曽川は、秦川山及び押立山に水源があり、ここ石橋を経て琵琶湖に注いでいる。 この川は、古い時代から水量が豊富であったため、舟運が盛んで人や物資のみでなく、重い石も舟運を利用して運んでいた。また…

観音堂(千樹寺)と盆踊り 江州音頭発祥の起源

観音堂(千樹寺)と盆踊り 江州音頭発祥の起源 案内板 「 観音堂(千樹寺)と盆踊り 江州音頭発祥の起源 天正十四年(西暦1586年)今から四百五年前、藤野太郎衛門常実が兵火(永禄十一年五月七日織田信長の)後の観音堂を再建して、其れ竣成せし、遷仏…

又十屋敷

又十屋敷 案内板 「 当館は、江戸末期より蝦夷と内地とを北前船を用いた交易で財を成した近江商人藤野家本宅跡です。明治初期に入ると我国初めての鮭缶の製造を始め五稜北辰の商標『星印』で商売した所、人気を博しました。今日では『アケボノ缶詰』として受…

金田池

金田池 案内板「 水の香る郷 金田池 この地より北約五十米の処、大字澤 一番地に金田池と称する湧水があり、田の用水に、また中山道を旅する人達の喉をうるおしてきた。 近年の地殻変化により、出水しなくなり埋め立てられたが、当区の最上流で永年名水とし…

江州音頭発祥の地

江州音頭発祥地 案内板 「 江州音頭発祥地 豊郷江州音頭は、和尚と村人の合作だ。 豊郷町中山道沿い下枝地先に在る日吉山千樹寺は奈良時代行基により創建され、幾度の火災によりたびたび焼失しましたが、その度に再建が行われ、その落慶供養の余興の中で、『…

犬上の君遺跡公園

犬上の君遺跡公園 滋賀・びわ湖観光情報より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓犬上氏は、現在の滋賀県犬上郡にゆかりのある豪族です。 もとは「犬上君(いぬかみのきみ)」と名のっていました。 犬上君御田鍬(いぬかみのきみみたすき)が遣隋使や遣唐使を 歴任、犬上君白麻呂(い…

伊藤忠兵衛記念館

伊藤忠兵衛記念館 滋賀・びわ湖観光情報より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓伊藤忠兵衛記念館 現在の大手商社伊藤忠(いとうちゅう)・丸紅(まるべに)の創始者で近江商人の筆頭としてあげられる伊藤忠兵衛(いとうちゅうべえ)(1842-1903)が住んでいた屋敷を記念館として開放…

伊藤長兵衛屋敷跡碑

伊藤長兵衛屋敷跡碑 碑の脇に「 九代目伊藤長兵衛(1868~1941)の偉業」の碑があります。(Wikipediaには、七 代目とある。) 16歳で伊藤長兵衛商店に入り、六代目の娘婿となり、九代目を襲名、1921年には伊藤忠商店と合併し、株式会社丸紅商店を設立し、初代…

くれなゐ園

くれなゐ園豊郷町ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓伊藤忠兵衛翁碑 伊藤忠兵衛の本家のすぐ近くの「くれない園」は、丸紅関係者で結成した酬徳会が初代の功績を偲んで昭和10年に築造したものです。園内には彼の肖像をはめ込んだ碑が建っています。↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

間の宿石畑の歴史と一里塚

石畑の歴史と一里塚 案内板 「私たちの石畑の歴史は古く平安時代後期にまでさかのぼります。一一八五年(文治元年)源平の争乱の中、八島の合戦で『弓矢の名手』として名を馳せた那須与一宗高の次男石畠民武大輔宗信が、この辺りの豪族であった佐々木氏の旗頭…

やりこの由来

やりこの由来 案内板 「 やりこの由来 安食南には、古くから『矢り木』(やりこ)という地名があり、昔、いく日も雨が降らず農作物が枯れてしまって村人たちは大変困っていました。村人たちは阿自岐神社の神様に雨を降らして頂くようお願いしたところ、 『安食…

豊郷小学校旧校舎群

豊郷小学校旧校舎群 豊郷町観光協会ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓豊郷小学校旧校舎群は、昭和12年に近江商人、商社「丸紅」の専務であった古川鉄治郎氏によって寄贈され、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の設計で建てられました。 当時は、「白亜の…