宇曽川と歌詰橋
案内板
「 宇曽川と歌詰橋
宇曽川
宇曽川は、秦川山及び押立山に水源があり、ここ石橋を経て琵琶湖に注いでいる。
この川は、古い時代から水量が豊富であったため、舟運が盛んで人や物資のみでなく、重い石も舟運を利用して運んでいた。また、木材は、丸太のまま上流から流したという。
このことから『運槽川』と呼ばれていたが、中世になって、うそ川となまったようである。
歌詰橋
宇曽川に架けられていたこの橋は、かつては十数本の長い丸太棒を土台にしてその上に土を塗りこめた土橋であった。
天慶三年(960)平将門は、藤原秀郷によって東国で殺され首級をあげられた。秀郷が京に上るために、中山道のこの橋まできたとき、目を開いた将門の首が追いかけてきたため、将門の首に対して歌を一首といい、いわれた将門の首はその歌に詰まり、橋上に落ちた。そこがこの土橋であったとの伝説がある。
以来、村人はこの橋を歌詰橋と呼ぶようになったのである。 」