紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-04-27から1日間の記事一覧

江州音頭発祥の地

江州音頭発祥地 案内板 「 江州音頭発祥地 豊郷江州音頭は、和尚と村人の合作だ。 豊郷町中山道沿い下枝地先に在る日吉山千樹寺は奈良時代行基により創建され、幾度の火災によりたびたび焼失しましたが、その度に再建が行われ、その落慶供養の余興の中で、『…

犬上の君遺跡公園

犬上の君遺跡公園 滋賀・びわ湖観光情報より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓犬上氏は、現在の滋賀県犬上郡にゆかりのある豪族です。 もとは「犬上君(いぬかみのきみ)」と名のっていました。 犬上君御田鍬(いぬかみのきみみたすき)が遣隋使や遣唐使を 歴任、犬上君白麻呂(い…

伊藤忠兵衛記念館

伊藤忠兵衛記念館 滋賀・びわ湖観光情報より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓伊藤忠兵衛記念館 現在の大手商社伊藤忠(いとうちゅう)・丸紅(まるべに)の創始者で近江商人の筆頭としてあげられる伊藤忠兵衛(いとうちゅうべえ)(1842-1903)が住んでいた屋敷を記念館として開放…

伊藤長兵衛屋敷跡碑

伊藤長兵衛屋敷跡碑 碑の脇に「 九代目伊藤長兵衛(1868~1941)の偉業」の碑があります。(Wikipediaには、七 代目とある。) 16歳で伊藤長兵衛商店に入り、六代目の娘婿となり、九代目を襲名、1921年には伊藤忠商店と合併し、株式会社丸紅商店を設立し、初代…

くれなゐ園

くれなゐ園豊郷町ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓伊藤忠兵衛翁碑 伊藤忠兵衛の本家のすぐ近くの「くれない園」は、丸紅関係者で結成した酬徳会が初代の功績を偲んで昭和10年に築造したものです。園内には彼の肖像をはめ込んだ碑が建っています。↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

間の宿石畑の歴史と一里塚

石畑の歴史と一里塚 案内板 「私たちの石畑の歴史は古く平安時代後期にまでさかのぼります。一一八五年(文治元年)源平の争乱の中、八島の合戦で『弓矢の名手』として名を馳せた那須与一宗高の次男石畠民武大輔宗信が、この辺りの豪族であった佐々木氏の旗頭…

やりこの由来

やりこの由来 案内板 「 やりこの由来 安食南には、古くから『矢り木』(やりこ)という地名があり、昔、いく日も雨が降らず農作物が枯れてしまって村人たちは大変困っていました。村人たちは阿自岐神社の神様に雨を降らして頂くようお願いしたところ、 『安食…

豊郷小学校旧校舎群

豊郷小学校旧校舎群 豊郷町観光協会ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓豊郷小学校旧校舎群は、昭和12年に近江商人、商社「丸紅」の専務であった古川鉄治郎氏によって寄贈され、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の設計で建てられました。 当時は、「白亜の…

若宮八幡宮「産の宮」

若宮八幡宮「産の宮」 案内板 「 由緒 若宮八幡宮『産の宮』南北朝の爭乱の頃足利尊氏の子義詮(よしあきら)が文和四年(一三五五)後光厳天皇を奉して西江州に戦い湖北を経て大垣を平定し翌五年京都に帰ることになった。その時義詮に同行した妻妾が途中で産気…

地福寺地蔵堂(月通寺)

地福寺地蔵堂(月通寺) 案内板 「 地福寺地蔵堂(月通寺)真言宗豊山派の寺院である。 別名『柏原地蔵』とも呼ばれており、本堂中央には行基菩薩の彫造と伝えられる地蔵菩薩が安置されている。 山門前に『不許酒肉五幸入門内』と刻まれた石標があるが、これ…

無賃橋

無賃橋 案内板 「 無賃橋 天保のはじめ、彦根藩は増水時の『川止め』で川を渡れなくなるのを解消するため、この地の富豪、藤野四郎兵衛、小林吟右衛門、馬場利左衛門らに命じて費用を広く一般の人に募らせ、橋をかけさせた。 当時、川渡しや仮橋の通行が有料…

むちん橋地蔵尊由来記

むちん橋地蔵尊由来記 「 むちん橋地蔵尊由来記昭和五二年(一九七七)むちん橋の橋脚改修工事の際、脚下から二体の地蔵尊が発掘された。 近隣の人々と工事関係者は、これこそ江戸時代天保三年(一八三二)最初に架橋された『むちん橋』の礎の地蔵尊に違いな…

高宮宿本陣跡

高宮宿本陣跡 案内板 「 本陣跡 江戸時代の参勤交代により大名が泊まる施設(公認旅館)として宿場に設けたのが本陣である。構造も武家風で、玄関・式台を構え、次座敷・次の間・奥書院・上段の間と連続した間取りであった。高宮宿には本陣が一軒あり、門構え…

芭蕉の紙子塚

芭蕉の紙子塚 案内板 「 芭蕉の紙子塚 たのむぞよ 寝酒なき夜の 古紙子貞享元年(一六八四年)の冬、縁あって小林家三代目の許しで一泊した芭蕉は、自分が横になっている姿を描いてこの句を詠んだ。 小林家は新しい紙子羽織を芭蕉に贈り、その後、庭に塚を作…

高宮の大鳥居

案内板「 高宮の大鳥居 中山道と多賀大社への参詣道(多賀道)の分岐点に立つこの鳥居は、多賀大社一の鳥居で、寛永十二年(一六三五)に建立されたもの。柱間は約八メートル。高さは役十一メートルあり、県の文化財に指定されている。鳥居建立工事は、多賀町四…

高宮布の布惣跡

高宮布の布惣跡 案内板 「 高宮布の布惣跡高宮布は高宮の周辺で産出された麻布のことで室町時代から貴族や上流階級の贈答品として珍重されていました。 高宮細美とも近江上布ともよばれ江戸時代になってからも高宮はますます麻布の集散地として栄えました。 …

お地蔵さんの赤いよだれ掛けについて

お地蔵さんの赤いよだれ掛けについて news.livedoor.comより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓お地蔵さんと言えば「赤いよだれかけ」や「赤い帽子(頭巾)」を着けていることがよくあります。これは、お地蔵さんが「子供を守る神様」として信仰されてきたことから、人々が「自分の子…

高宮神社太鼓まつり

高宮神社太鼓まつり Discover 滋賀 webアミンチュ(淡海人)より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓【滋賀の祭り】不思議なお祭り 彦根市・高宮神社の太鼓祭り彦根市では毎年4月に高宮神社で太鼓祭りが行われます。 たくさんの大きな太鼓を担いで中山道を練歩く、鎌倉時代末期から続…

木之本分身地蔵尊(大北の地蔵さん)

木之本分身地蔵尊(大北の地蔵さん) 案内板 「 普通、地蔵様は石造りが一般的であるが、この地蔵は珍しく木彫りに彩色されたものである。 側には明治三十三年四月の記で、 『木之本分身地蔵菩薩』と書かれた石柱があり、 木之本浄信寺にある眼病のご利益で名…

「かどや」跡と井戸

案内板「 『かどや』跡と井戸の由来石清水神社前に『かどや』という『お休み処』があった。およそ200年前に建てられ、用材は欅を『チョンノ』(鉋の一種)で削り、くぎは使われていない。内部は幾組もの客が休憩できるように多くの小部屋に分かれていた。井…

扇塚(石清水神社)

扇塚 案内板 「 能楽喜多流(北流)は、江戸時代井伊藩の手厚い保護を受け、この地で発展した。9代目家元、健志斎古能(号湖遊)は隠居したのち数年間彦根にいて、多くの門人の育成と能楽の発展に力を尽くした。 いよいよ彦根を去り江戸に帰るとき、門人たち…

石清水神社

石清水神社 案内板 「 石清水(岩清水)神社祭神 第16代応神天皇と その母 神功皇后(息長帯姫命)石段を登った亀甲山の山腹に鎮座する石清水神社は、古く飛鳥時代からこの地にお祀りしている神社で、武勲守護の神、また安産の神として参拝、祈願する人が絶えな…

句碑 中山道 旧跡 床の山

中山道旧跡 床の山 彦根観光協会ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓句碑 中山道 旧跡 床の山旧中山道沿いの旭森公園のフェンスわきに石碑があります。 表には「旧中山道 旧跡 床の山」とありますが、向かって左側側面に句があります。 「ひるがおに 昼寝せうもの 床…

矢除け地蔵堂

矢除け地蔵堂 ( 説明板より)↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓地蔵町勝満寺の門前に地蔵堂がある。 この地蔵堂には地蔵菩薩と聖徳太子が祀られてあり、 通称矢除け地蔵尊と呼ばれ親しまれている。 元は旧中山道の松の畷手にあったものを現在地に移されたもので、 以後松の畷手を地…

小野小町塚

小野小町塚 案内板 「 小野小町塚鎌倉時代、弘安二年(一二七九年)に歌人阿仏尼が京都から鎌倉へ向かう途中、小野宿に宿泊した、とある。(『十六夜日記』) 中世、小野の地は、東山道の駅家(えきや)として機能していた。また、藤原定家の『明月記』などに記さ…

小野町 八幡神社

八幡神社 案内板 「 八幡神社 彦根市小野町 祭神 應神天皇 祭礼 元旦祭 一月 祈年祭 二月 春例祭 四月 納涼祭 七月 秋例祭 九月 大祓祭 十二月 由緒等 彦根市小野町は、明月記にみえる『小野庄』の遺称地とされ、中世の東海道(近世の中山道)の宿駅の一つ、小…

石碑 中山道・彦根道分岐道標

石碑 中山道・彦根道分岐道標 彦根観光協会ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓石碑 中山道・彦根道分岐道標旧中山道鳥居本宿の南端近く、中山道が彦根道と交わる地点の南西隅に設けられている道標です。 幅・奥行きとも25.5㎝、高さが124.5㎝の角柱状で、上端はやや…

百百百百(どどもも) 古民家蕎麦屋

百百百百(どどもも) 百百百百ホームページより ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ようこそ百百百百へ百百百百(どどもも)は彦根市の東端に位置する中山道鳥居本宿の古民家『百々家住宅』を改装した、こだわりの蕎麦屋です。 江戸時代末期の古民家(有形文化財にも指定されておりま…

鳥居本宿 紅殻の家 成宮家

紅殻の家 成宮家 文化財オンライン↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓中山道鳥居本宿に西面して建つ町家。木造平屋一部二階建で上部を漆喰塗込として虫籠窓を穿つ。内部は南寄りを通土間とし、床上部は手前よりイマなどを並べる。正面の出格子を駒寄せで囲い、土間入口にトバコと呼…

合羽所「松屋」

合羽所「松屋」 案内板 「 合羽所『松屋』 江戸時代より雨具として重宝された渋紙や合羽も戦後のビニールやナイロンの出現ですっかりその座を明け渡すこととなり、鳥居本での合羽の製造は一九七〇年代に終焉し、今では看板のみが産地の歴史を伝えています。…