石畑の歴史と一里塚
案内板
「私たちの石畑の歴史は古く平安時代後期にまでさかのぼります。一一八五年(文治元年)源平の争乱の中、八島の合戦で『弓矢の名手』として名を馳せた那須与一宗高の次男石畠民武大輔宗信が、この辺りの豪族であった佐々木氏の旗頭として、那須城(城跡)を造りこの地を治めていました。一二三九年(延応元年)男山八幡宮(京都・・石清水八幡宮)から勧進した八幡神社と一二五七年(正嘉二年)に創建した称名寺があります。
また、江戸時代後期には、街道の往来で賑わっていた中山道・高宮宿と愛知川宿の間の宿(あいのしゅく)として発展し、立場茶屋(たてばちゃや)が設けられ旅人や馬の休息の場として栄えました。
さらに、中山道の役場前交差点南(小字一里山)には、『一里塚』が設けられ、『高さ丈余の塚で、松が植えられてあって、塚の上から湖水が見えた』と、豊郷村史に記されています。 」