紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

間の宿石畑の歴史と一里塚

石畑の歴史と一里塚

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案内板
「私たちの石畑の歴史は古く平安時代後期にまでさかのぼります。一一八五年(文治元年)源平の争乱の中、八島の合戦で『弓矢の名手』として名を馳せた那須与一宗高の次男石畠民武大輔宗信が、この辺りの豪族であった佐々木氏の旗頭として、那須城(城跡)を造りこの地を治めていました。一二三九年(延応元年)男山八幡宮(京都・・石清水八幡宮)から勧進した八幡神社と一二五七年(正嘉二年)に創建した称名寺があります。
また、江戸時代後期には、街道の往来で賑わっていた中山道・高宮宿と愛知川宿の間の宿(あいのしゅく)として発展し、立場茶屋(たてばちゃや)が設けられ旅人や馬の休息の場として栄えました。
さらに、中山道の役場前交差点南(小字一里山)には、『一里塚』が設けられ、『高さ丈余の塚で、松が植えられてあって、塚の上から湖水が見えた』と、豊郷村史に記されています。 」