紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

石塚の一里塚跡

石塚の一里塚跡

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案内板
中山道 石塚一里塚史跡

石塚一里塚は、中山道を江戸日本橋から123里(483km)の、この地にありました。
徳川家康は、慶長六年(1601年)江戸城防衛を目的に、街道の整備を始め、東海道寛永元年(1624年)に完成しました。
中山道木曽路の街道化に時間が取られ、全体の完成は元禄七年(1694年)でしたが、近江地区の中山道は、慶長十三年(1608年)に完成していました。
石塚一里塚は、明治六年の『石塚村地券絵図』に、『一り塚(地番)二百三十五』と円形に記録され、一里塚の存在を証明しています。
昭和四十年発行の『近江神崎郡志稿 下巻』には、『本郡中山道なる一里塚は旭村大字石塚の郊外おぶく田(御仏供田)と呼ぶ處にあり、塚は担らげられ畑となってあるが、下廻の石垣は在してある。』と記され、つい最近まで、一里塚史跡の石塚が残っていたことが確認できます。
天保年中に出版された『東海木曾両街道道中懐寳圖鑑』に、『清水鼻北町屋間の一里塚には東方榎二本西方一本』とあり、石塚一里塚には、恵野木が植えられ、石塚が側は2本、山本側は1本で、これは『中山道分間延絵図』の一里塚の図に一致します。 」