2021-04-10から1日間の記事一覧
案内板 「 疑似御柱この御柱は疑似御柱です 諏方大社・下諏訪観光協会のご協力を戴きまして御柱祭りにご神木として使用されます同じ樅の木を設置致しました 樹齢約百年の樅の大木です 地元有志で構成しております模擬御柱会は七年毎に御柱祭りが終了した後に…
案内板 「 樋橋村の今昔 樋橋村は江戸時代(寛永十一年)に誕生しました。中山道 和田峠の登り口に立場茶屋として栄え、茶屋本陣があり大名、公家、幕府役人や一般の旅人が休んでいきっました。文久元年(1861)十一月六日皇女和宮 様が御降嫁の時茶屋本陣で…
案内板 「 下諏訪町文化財 史跡 浪人塚ここは浪人塚といい、今から一二〇年前元治元年(1864 年)十一月二〇日に、この一帯で水戸の浪士武田耕雲斎 たち千余人と松本、諏訪の連合軍千余人が戦った古戦場でもある。 主要武器はきわめて初歩の大砲十門くらいづ…
案内板 「 下諏訪町文化財 西餅屋茶屋跡西餅屋は江戸時代中山道下諏訪宿 と和田宿 の五里十八丁の峠路に設けられた「立場」(人馬が休息する所)であった。中山道は江戸と京都を結ぶ裏街道として重視されていた。ここは茶屋本陣の小口家と武居家、犬飼家、小…
案内板 「 中山道 石小屋跡 中山道の古峠は、標高一、六〇〇メートルの峠で難路で知られていた。下諏訪側の峠近くは旅人も人馬も難渋した。大雪の時には雪割り人足も出動した。下原村の名主勝五郎は、安政二年(一八五五)に避難場所と荷置き場を造ろうと郡御…
案内板 「 歴史の道 中山道 古峠 中山道 建設以来、江戸時代を通じて諸大名の参勤交代や一般人の通行、物資を運搬する牛馬の往き来などで賑わいをみせた峠である。頂上に、遠く御嶽山の遥拝所がある。冬季は寒気も強い上に、降雪量も多く、冬の和田峠越えの…
案内板 「 歴史の道中山道 東餅屋 標高一五三一メートルの和田峠は急坂が多く降雪の際はもとより、雨や霧の日も旅人は難渋した。この峠の唐沢、東・西餅屋、樋橋、落合に茶屋があり人馬の休息所となっていた。 この東餅屋では、五軒の茶屋が名物の餅を売って…
案内板 「 歴史の道中山道 広原一里塚 このあたりを広原といった。その名のとおり昔は笹と萱の生い茂る原であった。 冬の降雪期には山頂より吹きおろす吹雪で一面の雪の原と化して道も埋もれるとき、五間(九メートル)四方のこの塚は旅人の道しるべとなったで…
接待茶屋跡 案内板 「 歴史の道中山道 接待(和田峠施行所) 江戸呉服町の豪商かせや与兵衛(有隣)が、中山道の旅の難儀を幾分でも助けようと金千両を幕府に寄付した。その金の利子百両を二分して、碓氷峠の坂本宿 とこの和田宿 に五〇両づつ下付し、文政一…
案内板 「 歴史の道中山道 三十三体観音 かつて、この山の中腹にあった熊野権現社の前に並んでいた石像である。旧道の退廃とともに荒れるにまかせていたが、昭和四八年(一九七三)の調査発掘により二九体が確認されここ旧道ぞいに安置された。内訳は、千手観…
案内板 「 歴史の道中山道 唐沢一里塚 この塚は、江戸より五一番目の一里塚です。 一里塚は、江戸日本橋を起点として一里(約四キロメートル)ごとに道の両脇に五間(約九キロメートル)四方の塚を築き、多くはその上に榎や松を植えて旅人の目じるしとし、さらに…
萬屋(現酒店) 中山道和田宿公式サイトより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓「よろずや」 屋号を「よろずや」といい、江戸時代には質屋と両替商を営んでいたと言われています。 中町、下町に多い旅籠屋形式の造りですが、和田宿では唯一「火かえし(卯建)」を持つ 建物です。 見事な…
中山道和田宿公式サイトより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓「脇本陣跡」 和田宿に二軒あった脇本陣のうちの1つで、歴代翠川家が勤めました。 屋敷は文久元年(1861年)の大火で焼失(和田宿内では本陣を含め109戸が全焼した。) しましたが、数ヶ月後に皇女和宮が和田宿に宿泊する…
なが井(旧本亭旅館) 中山道和田宿公式サイトより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓「なが井」 何軒も残っている出格子造りの家の中でひときわ目立つのが昔庄屋で、近年は旅館として 人気を集めていましたが、今年(2012)になり営業を停止し、新たな装いで再出発の予定です。 「中山…
しあわせ信州 長野県魅力発信ブログより↓↓↓↓↓↓↓↓↓「 米屋鐵五郎本舗」、文政時代に「米屋」という屋号の商家があった場所で、江戸時代にも米屋鐡五郎という者が問屋を営んでいたとのことです。その木造2階建ての建物が空いていたため、この空き家を県の「地…
和田宿本陣跡 石合家 案内板 「 中山道和田宿本陣 御入門中山道和田宿本陣は文久元年(一八六一)三月の大火で焼失したが、同年十一月の皇女和宮降嫁にそなえてただちに再建された。その後明治期に座敷棟は、丸子町龍願寺へ、また座敷棟の正面にあった御入門…
徳田屋 日本の観光スポットをめぐる旅「Guide Memoより」↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓韃靼そばが食べられる蕎麦屋 徳田和田宿本陣の前には、韃靼(だったん)そばが食べられる、徳田というお蕎麦屋さんがあります。韃靼そばとは、苦味がある韃靼蕎麦粉をつかった蕎麦のことを…
「山木屋(下の問屋)・大黒屋」中野和田宿公式サイトより↓↓↓↓↓↓↓↓↓』 奥の建物が山木屋で問屋跡、出桁造りで格子がついています。 手前の建物が旧旅籠「大黒屋」です。 安政年間以降は昭和初期まで穀物商を営んでいましたが、最近、修復が完了。現在は戸閉め…
中山道歴史の道資料館 かわち屋 奥に、黒曜石記念館も見えています。 かわちや案内板 「 歴史の道 中山道かわちや(歴史の道資料館) 文久元年(1861)三月十日の大火で焼失したか その年の十月、本陣、脇本陣等と同じく再建されたものである。 和田宿 の旅…
長和町 若宮八幡神社 案内板 「 長和町指定文化財 若宮八幡神社本殿一、指定年月日 昭和五十六年十月一日 一、所在地 長和町和田字若宮 一二一五-一 【説明】 祭神は、仁徳天皇。 本殿は、一間社流造の間口一・五メートル、奥行一・七メートルの大きさで、棟…
案内板 「 歴史の道 中山道 三千僧 接待 碑信定寺別院慈眼寺境内に建立されて いたものだが寛政七年(一七九五) この地にうつされた。諸国遍歴の僧侶 への接待 碑で一千人の僧侶への供養接 待を発願して見事結願し、一躍二千を増 した三千の僧侶への供養接待…
東信ジャーナルブログ版より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓2016年1月16日【昼寝をする巨大な「みみずさん」が奉納された蚯蚓神社】 ミミズを「蚯蚓(きゅういん)大権現」として祀る「蚯蚓神社」=長和町和田中組=が密かなブームとなっている。 インターネットを見て県外から来…
案内板 「 ミミズの碑*ミミズの碑”は、この地蚯蚓に住む人々の希望により祭られました。 *蚯蚓(みみず)は土壌動物の代表です。みみずは枯れた落ち葉や木の枝などをよく食べ糞をします。その糞は『土』となります。『生まれたばかりの新鮮な土』『植物がよ…
案内板 「 長和町指定文化財 中山道 一里塚跡一、指定年月日 昭和五十三年十二月一日 一、所在地 長和町長久保大字四泊 一、指定の理由 交通の遺跡 [説明] 中山道の一里塚は、慶長九年(1604)幕府の一里塚奉行大久保長安により、江戸日本橋から一里(約4キロ…