紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

四泊の一里塚跡

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案内板
「 長和町指定文化財
中山道 一里塚跡

一、指定年月日 昭和五十三年十二月一日
一、所在地 長和町長久保大字四泊
一、指定の理由 交通の遺跡

[説明]
中山道の一里塚は、慶長九年(1604)幕府の一里塚奉行大久保長安により、江戸日本橋から一里(約4キロメートル)ごとに、およそ五間(約9メートル)四方の塚が築かれ、その上に榎や欅などを植えて、旅人の便宜を図ったものです。
江戸から48番目となるここにあった一里塚は、『エノミの木のある所』として地元の人に親しまれた榎の大木がありましたが、昭和三十五年(1960)の道路改修の際に伐採されました。
正保四年(1647)の『信濃国絵図』のほか、諸文献にもこの場所に一里塚のあったことが明記されています。
ここより江戸方となる一里先の笠取峠直下には、一里塚が一基現存し、また京方の三里先の当町唐沢には、ほぼ往時の原形を留める一里塚が対で現存しています。

長和町教育委員会