紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

今宿の一里塚跡

今宿の一里塚跡

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案内板
滋賀県指定史跡 
今宿一里塚 江戸時代

今宿一里塚は五街道の一つである中山道の一里塚で、江戸日本橋から本県草津宿までに一二九ケ所あった一里塚の一二八番目にあたります。 一里塚は江戸幕府により慶長九(一六○四)年に整備されたもので、一里毎に道の両側に五間四方の塚を築き、榎や松を植えて通行の目安としたものです。 県内には中山道の他、東海道朝鮮人街道、北国街道、北国脇往還などに設置されていましたが、明治以降、交通形態の変化による道路拡幅や農地、宅地への転用などによりそのほとんどは消滅し、現存するものは今宿一里塚のみとなりました。 今宿一里塚は規模は小さくなっていますが南塚のみ残り、榎が植わっています。先代の榎は昭和中頃に枯れましたが、脇芽が成長して現在にいたっています。 今宿一里塚は、往事を偲ぶことのできる中山道守山宿の中にあり、近世交通史を知る上で重要な遺跡といえます。  

平成十年三月 
滋賀県教育委員会