案内板
「 歴史の道中山道 唐沢一里塚
この塚は、江戸より五一番目の一里塚です。
一里塚は、江戸日本橋を起点として一里(約四キロメートル)ごとに道の両脇に五間(約九キロメートル)四方の塚を築き、多くはその上に榎や松を植えて旅人の目じるしとし、さらに、憩いの場所ともしたものである。
和田、下諏訪宿間に一里塚は六ヵ所あったが、これはその一つである。
この塚は、なかせんどうの一部路線変更により山中にとり残されたもので、天保二年(一八三一)の絵図面ではすでに路線からはずれている。
現在種目は残っていないが、塚は二基ともほぼ原形をとどめている。
文化庁 長野県 和田村 」