東信ジャーナルブログ版より
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2016年1月16日
【昼寝をする巨大な「みみずさん」が奉納された蚯蚓神社】
ミミズを「蚯蚓(きゅういん)大権現」として祀る「蚯蚓神社」=長和町和田中組=が密かなブームとなっている。
インターネットを見て県外から来る人や農業関係者などの参拝が増えているためで、羽田健一郎町長は「ミミズの神社は全国唯一ではないか。ミミズは土を肥やす存在なので、農業のシンボルとして紹介していきたい」と話す。
蚯蚓神社があるのは、中山道沿いの「蚯蚓地区」の山裾。杉木立の中に建っており、南側には御神木である樹齢300年の「榧」(かや)の木がある。
伝説によると昔、裏山の北沢山で大水が出た際、長さ一尺(約30㎝)ほどのミミズが群れをなして死んだ。
その直後、コレラや腸チフスなどが発生したため「ミミズのたたりだ」と畏れ、神社を建てたという。かつては山中に「奥のお堂」もあったという。
実際、神社の横には「水出(みずいで)」と呼ばれる沢が流れており、過去50年間に2度鉄砲水が起こっているという。
また 辺り一帯には湧き水がいくつもあり、ワサビの生い茂る場所もある。
神社の麓に住む辰野三夫さん(76)は「水が豊富な土地なので、大水が出ないよう山と土を守ってくださいという願いを込めた神社だったのではないか」と話す。
かつては茅葺き屋根の社殿だったが、雨漏りのため昭和44年、建築業を営んでいた辰野さんが木とトタンで建て直した。その際「蚯蚓神社」や、地元での呼び名である「おきん様」の神額もこしらえた。
さらに12年前、直径10㎝程で長さ2m余り、微妙に湾曲した杉の間伐材に着色し、顔を描いて「みみずさんのおひるね」の看板と共に奉納した。
以前は毎年8月20日に地区の人たちがお重を持って集まり、お供えをした後神社の前で会食して楽しんだ。今は神事を行うだけのひっそりとした神社だが、神社の正面の旧中山道沿いに雌雄のミミズが描かれた神社の石碑があることから、中山道散策途上の県外の人たちの参拝が増えた。また川魚料理や農業に携わる人がわざわざ訪ねて来ることもあるという。
ミミズは漢方の解熱剤としても珍重されており、蚯蚓地区でも昔はミミズの干物を作っていた。子どものころに飲まされたことがあるという辰野さんは「この辺りは雨が降れば今でも長さ1尺のミミズが出てくることがある。なぜおきん様と呼ぶのか分からないが、大切にしていきたい」と話していた。
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