和田宿本陣跡 石合家
案内板
「 中山道和田宿本陣 御入門
中山道和田宿本陣は文久元年(一八六一)三月の大火で焼失したが、同年十一月の皇女和宮降嫁にそなえてただちに再建された。その後明治期に座敷棟は、丸子町龍願寺へ、また座敷棟の正面にあった御入門は丸子町向陽院へとそれぞれ移築された。ここに復元した御入門は、移築されている門の実測調査により作成した復元図に基づき、平成元年度『潤いのあるまちづくり』優良地方公共団体自治大臣表彰記念・村制施行100年記念事業の一環として、日本宝くじ協会の助成を受けて再建した。
また、座敷棟については同じく敷地等の石に関係から、復元することはてまきなかった。
長和町教育委員会 」
「石合」 中山道和田宿公式サイトより
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「石合(いしあい)」
中山道の一つ江戸よりの長久保宿本陣である石合家から分かれて10代目ないし11代目と なる家柄といわれています。 旅籠屋を営み、和田宿の「年寄り」であったと伝承されています。 本陣の斜め向かいという和田宿の中心部に位置し、町並み景観上も重要な位置にあり、 典型的な旅籠屋の外観を今に伝える貴重な建造物のひとつです。
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