一、指定年月日 昭和五十三年十二月一日
一、所在地 長和町長久保五八九
一、指定の理由 本陣建築として重要
【説明】
石合家は長久保宿 創設当時から、江戸時代を通じて本陣と問屋を勤め、四代目当主のもとには真田信繁(幸村)の娘が嫁いでいます。
当時の建物としては、大名や公家等の賓客が利用した『御殿』と呼ばれる座敷棟と幕末頃の構築と推定される表門が現存し、ともに町文化財に指定されています。
御殿には、上段之間・二之間・三之間・御小姓部屋・台子之間・入側(畳廊下)・十二畳之間が残り、腰高障子や欄間、書院造り等の格調高い内装は、本陣御殿の姿をよく伝えています。
構築年代は詳らかではありませんが、江戸時代中頃の寛延二年(1749)の絵図面に現状と同じ間取りが記載されていることや、細部意匠の様式から十七世紀後半と推定され、中山道中では現存する最古の本陣遺構であるといわれています。
また、石合家には江戸時代初期からの古文書や、高札等の史資料が数多く保存されていて、これらも町文化財に指定されています。
〈注意〉個人住宅につき、一般公開は行っておりません
長和町教育委員会 」