案内板
「 一橋家陣屋跡
一橋家は八代将軍吉宗の第四子宗尹(むねただ)がおこしており、延亨三年(一七四六)九月に本県の治領地 三万四四石余が与えられた。
陣屋は頭初双葉町宇津谷(村)に構えていたが、宝暦三年(一七五三)にこの地に陣屋を移した。その後寛政六年(一七九四)に静岡県榛原郡相良町にところがえになったので陣屋は廃され、再び幕府領となった。この時河原部村では陣屋の存続を願い出たとのことである。
陣屋では租税・訴訟・断獄などの民政を行っており、その屋敷は東西が約三十三m・南北が約五十ニmの広さで、この中に本屋・土蔵・長屋・同心役宅の建物があった。
平成九年十二月二十二日
韮崎市 」