紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

「猿橋の旅宿にて」

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案内板

猿橋の旅宿にて」(明治三十九年) 
      (日立製作所史より)

七月十五日であった。余は(渋沢元治氏当時逓信技師)山梨県甲府付近にある水力発電所を検査することを命ぜられ、飯田橋から甲府行きの汽車に乗った。ところが車中偶然に同窓の小平浪平君に会った。同君は「君に折り入って話したいことがあるから今日猿橋で一緒に泊まってはどうか。」この勧めで同地の大黒屋に一泊することにした。この日は朝来豪雨であったが、夜に入って小止みになり、庭の木の葉から落ちる雨滴の音と桂川の俄が増水のための水音を除いては、山間の小さな宿屋の小さな宿屋の一室のことであるから極めて静かで親友同士の久しぶりの会談には絶好の機会であった。

この会談で小平浪平氏は本邦に電気製作事業を起こそうという抱負を語り、後年日立製作所の創業社長としてこれを実現した。


甲陽猿橋之図(天保十二年)

「甲斐の山々遠近に連り山高くして谷深し、桂川の流れ清麗なり、十歩二十歩行く間に変わる絶景、拙筆に写しがたし、猿橋の向茶屋』(大黒屋)にてヤマメの煮びたし等菜ならびたり。」
 (安藤広重旅日記「甲州道中」より抜粋)

浮世絵師、安藤広重の第一の傑作と言われる「甲陽猿橋之図」は、この旅で生まれたと言われている。

     日立製作所八十周年記念