紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

切通陣屋跡

切通陣屋跡
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案内板
岐阜市指定史跡
切通陣屋跡

宝暦五年(一七五五)安藤信成は、父信尹(のぶただ)の跡をつぎ、加納藩主となったが、翌六年、陸奥磐城平に移封となった。
これは、信尹の不行跡にともなう、幕府の処置としてなされたものであった。
その後老中となった信成は、享和三年(一八〇三)十一月、美濃国内で一万八千石余(厚見・方県・葉栗・本巣、四郡の一部)を加増され、再び美濃との関係をもつにいたった。
平藩は、美濃領支配のため、切通村に陣屋を設け、郡奉行二人、代官四人、与力五人、同心五人など、二十二人ほどが詰めていた。
平藩による支配は、飛び地支配のため問題が多く、文政八年(一八二五)には長森騒動が起きている。
切通陣屋は、安藤氏七代にわたり六十七年に及ぶ支配をおこなったが、明治に至り、 廃藩と同時に廃止され、笠松県に統一された。

平成三年三月九日
各務原市教育委員会