紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2022-04-18から1日間の記事一覧

千鳥姫の稚児落とし伝承

senjp.comより千鳥姫は小山田信茂の側室であったとされ、織田勢の大軍に岩殿山城を包囲されると、千鳥姫の子でまだ赤子の万生丸と、小山田信茂の2男・小山田賢一郎を連れて脱出を計画。護衛として小幡太郎と城兵が共に岩殿山城の西尾根を辿り城外に脱出したと…

三猿塔の由来

案内板 「 三猿塔の由来奈良朝の昔、此の辺の交通は至極難渋であって、警告を渡る事などは思いもよらなかった。 茲に桂川渓谷は、奥は小金沢から大菩薩峠に続く大幽谷で、当時此の辺は老樹うっそう昼なほ暗き原始林に覆われていた。猪や鹿、ことに山猿は群れ…

名勝 猿橋

案内板 「 名勝 猿橋 昭和七年三月二十五日指定 猿橋架橋の始期については定かでないが、諸書によれば『昔、推古帝の頃(六〇〇年頃)百斉の人、志羅呼(しらこ)、この所に至り猿王の藤蔓を よじ、断崖を渡るを見て橋を造る』とあり、その名はあるいは白癬(しら…

「猿橋の旅宿にて」

案内板「猿橋の旅宿にて」(明治三十九年) (日立製作所史より)七月十五日であった。余は(渋沢元治氏当時逓信技師)山梨県の甲府付近にある水力発電所を検査することを命ぜられ、飯田橋から甲府行きの汽車に乗った。ところが車中偶然に同窓の小平浪平君に会った…