紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

中田の松原

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案内板
「中田の松原

いま中田町となっている通りは、江戸時代 は、『中田の松原』と呼ばれたうちに入っていて、それは、これから北へ古河の原町入口までの約一里(約四キロ)余の間の呼び名であった。
この間には、中田新田の顕正寺(けんしょうじ)、茶屋新田の中の茶屋立場や名物の一本松(一葉一包の珍種)、原町の一里塚などがあり、また松並木を越して、藤井松平氏 の建てた坂間の碑、鴻巣の桃林、そして古河城 の三階櫓も望まれる景勝の地であった。
幅五間(約九メートル)の道の両側は一段と高くされ、そこに松並木を植えたのは、寛永七年(1630 )、古河城主永井尚政 のときであったという。注意して見ると、『左右に松並木が続き、道は広く、東海道にもこのように、まっすぐで、平らで、きれいなところはない』と、ある記録に記されているおもかげは、かつて茶屋新田村の中心で、高札場もあったこのあたりに、今もわずかにしのぶことができる。

平成元年三月

古河市教育委員会