脇本陣・問屋跡
案内板
「 脇本陣・問屋跡
鳥居本宿には脇本陣が二軒ありましたが、本陣前の脇本陣は早くに消滅し、問屋を兼ねた高橋家のようすは、上田道三氏の絵画に残されています。それによると、間口のうち左三分の一ほどに塀があり、その中央の棟門は脇本陣の施設で、奥には大名の寝室がありました。そして屋敷の南半分が人馬継立を行う施設でる問屋場です。人馬継立とは当時の輸送システムで、中山道では宿ごとに五十人の人足と五十疋の馬を常備するよう定められていて、次の宿まで常備した人足や馬を使って荷物を運んでいました。 」