紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

東の荷蔵跡 問屋場跡

東の荷蔵跡 問屋場

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案内板(写真右)
「 東の荷蔵跡

運送荷物の両隣宿への継立(駅伝運送)が、当日中に出来ない場合、荷物を蔵に保管した。
この蔵は東蔵と呼ばれ、藩年貢米集荷の郷蔵でもあった。 荷蔵は宿西部にもあった。 」

案内板(写真左)
問屋場

問屋とは、街道の運送問屋のことで、宿場第一の業務を担当した。 公用の旅人・荷物と幕府ご用状の、両隣宿までの運送を継立(駅伝方式)で行った。
宿屋の斡旋も仕事。 柏原宿では、江戸後期には六軒の問屋が、東西三軒づつに分かれ、自宅で十日交代で勤めた。
中山道の人足・役馬は、五十人五十疋が義務づけられ、下役に帳付・馬指・人足指が居た。村年寄役が問屋役を補佐した。
人足・馬を出し、問屋業務を助けた助郷村は、当初近隣十六ヶ村。彦根藩村々の離脱から、五十一ヶ村かつ遠方が多くなり、宿場・助郷村とも苦しんだ。 」