紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

中山道中間地点

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案内板
中山道中間点

ここは、中山道の中間点、江戸、京都双方
から六十七里ニ十人町(約二六六キロ)に
位置しています。
中山道は、東海道とともに江戸と京都を
結ぶ二大街道として幕府の重要路線で
あったことはいうまでもありません。
木曽路というと深山幽谷の難所と思われ
がちですが、木曽十一宿が中山道六十九
次の宿場として指定された慶長六年(一
六O1)ころからは整備も行き届き、和
官などの姫宮の通行や、日光弊使・茶壺
道中などの通行に利用されていました。
英泉、広重をはじめ多くの文人墨客が数
多くの名作を残していることからも変化
に富むこの街道は旅人の目を楽しませて
くれたに違いありません。
また、江戸時代に木曽一円を治めていた
代官山村氏は、中央との結びつきを深め、
代々向学の士を輩出して政治、経済はも
とより、文学にもその才を発揮し、木曽
をして中山道のいう東西文化の接点な
らしめたのです。

木曽町 」