案内板
「 中山道中間点
ここは、中山道の中間点、江戸、京都双方
から六十七里ニ十人町(約二六六キロ)に
位置しています。
中山道は、東海道とともに江戸と京都を
結ぶ二大街道として幕府の重要路線で
あったことはいうまでもありません。
木曽路というと深山幽谷の難所と思われ
がちですが、木曽十一宿が中山道六十九
次の宿場として指定された慶長六年(一
六O1)ころからは整備も行き届き、和
官などの姫宮の通行や、日光弊使・茶壺
道中などの通行に利用されていました。
英泉、広重をはじめ多くの文人墨客が数
多くの名作を残していることからも変化
に富むこの街道は旅人の目を楽しませて
くれたに違いありません。
また、江戸時代に木曽一円を治めていた
代官山村氏は、中央との結びつきを深め、
代々向学の士を輩出して政治、経済はも
とより、文学にもその才を発揮し、木曽
をして中山道のいう東西文化の接点な
らしめたのです。
木曽町 」