紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

瀧宮神社

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案内板
「 宿根総鎮守 瀧宮神社御由緒

 瀧宮神社(たきのみやじんじゃ)は室町時代後土御門天皇の御代、明応七年(1498)この地に鎮座されました。当社の裏手には昭和六十一年まで百坪ほどの湧水を利用した溜池があり、御手洗池あるいは、ひょうたん池と呼ばれていました。この湧水は、地内に点在する遊水池と共に当地一体に広がる十八町歩の水田を潤す水源でありました。
 社殿によると当地は応永二十三年(1416)関東管領上杉憲房の所領となり、後にその重臣岡谷加賀守源香丹の治めるところとなりました。明応五年(1496)六月、当地一帯が大干ばつに襲われ、領民は大変苦しんだのでした。香丹は直ちに水利の向上を督励し、その水源地として当社の辺りを選定し、広さ百余坪、深さ一丈余りにわたって掘ったところ、水が殊のほか湧きだし、耕地を潤したのでした。領民は歓喜し、これを神様のお恵み・導きとして、この遊水池に社殿を建て、瀧宮神社と奉称してお祀りしたのでした。「風土記稿」に「瀧宮明神社 村の鎮守にて 伝々」と記されるように、古くから当社は宿根地区の鎮守として信仰されてきました。
 御祭神 伊邪那岐命(男神) 伊邪那美命(女神)

(以下略) 」