紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

上野国一社八幡宮鳥居

上野国一社八幡宮鳥居

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いつもNAVIより

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社伝によると、天徳元年(957)、京都の石清水八幡宮から勧請。当社の正式名は「八幡宮」だが、「やわたの八幡さま」と呼ばれ、また、古くから一国一社の八幡宮として広く崇敬されていた。

永承年間、源頼義が奥州征伐のおり、当社にて戦勝祈願。康平年間、頼義の子・源義家八幡太郎)が戦勝の奉賛として社殿を修築し、以来、源氏の氏神として崇敬され、源頼朝鎌倉幕府開設にあたり神田百町を寄進した。

(中略)

通常、一国一社の八幡宮国府八幡宮、国分八幡宮などと同様、国府国分寺の鎮守として祀られた八幡宮のことだが、当社の場合は、どういう理由によるものなのだろうか。

ちなみに上野国府は前橋市元総社町あたり、国分寺高崎市国分町あたりだとされているので、当社からは、やや遠い。

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