紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

二度目の中山道歩き22日目の1(御嶽宿から伏見宿への道)

二度目の中山道22日目の1
2020年10月28日(水)の1


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御嶽宿町並みと鬼の首塚

前夜発の夜行バスに乗って早朝6:30に名古屋に着き、名古屋駅内のパン屋でパンを4個買い、名鉄名古屋駅7:09発の電車に乗り、犬山、新可児で乗り換えて、御嵩駅へ。


電車は通勤の人ももちろんですが、高校生がいっぱい。


御嵩は小さな町なのに高校があるんですね。(御嵩町は案外大きく、御嵩はその中心なんですね)

御嵩駅には8:20着。身仕度などして8:38出発。
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二度目の中山道のまだ歩いていないところを歩きに来ました。

途中までは、11年ぶりの二度目の中山道ですが、途中からは、2016年に二度目の中山道を部分的に歩きに来たので、三度目の中山道となりました。

暑いときに歩いてきましたが、今日は秋らしくて歩くのが本当に楽しい。

8:40 神明神社
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8:42 左折するところは時計店。左折するということは、桝形の名残かな。
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8:45 格子の家
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8:48 右折する(ここも桝形の名残でしょうね)角の左奥には常夜燈
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8:51 秋葉山常夜燈
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8:54 自然石道標
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8:55 鬼の首塚
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案内板

「 鬼の首塚 (天神塚 )町重文


 伝説によれば鎌倉時代の建久、正治の頃(1190~1200)頗る凶暴で悪業三昧の男が次月の鬼岩の岩窟に住み着き乱暴狼藉を極め住民を大いに大いに悩ませました。
 この者は西美濃不破の関 の生れであったため、住民はこれを『関の太郎 』とか『鬼の太郎 』と呼び怖れていました。そこで正治元年(1199)人々はこの地の地頭交告源吾盛康 にこの惨状を討え退治してもらうことにしましたが盛康は京の地にあり、おいそれと帰ることができませんでした。そこで自分の家臣四名に太郎の退治を頼み御嵩の地に帰しました。ところが、なかなか太郎を討つことができなかったため、蟹薬師 に祈願したところ、太郎が女装し祭礼に来るとのお告げがあり、そのお告げのとおりに四月一日の祭礼の日に女装した太郎が現れ、それを捕らえ首を切ることがてきました。

四人の者は太郎の首を首桶 に入れ、検分のため都へ運ぼうとしたところ急に首桶が重くなり 一歩も進むことができなくなりました。すると首桶を縛っていた縄が切れ中から首が転げ落ち、落ちた首も動かすことができなくなったため、それをこの地に埋めました。
 これが『鬼の首塚 』の由来といわれています。首塚のあるあたりを『桶縄手』と呼び木曽街道膝栗毛 の著者十返舎一九 もこの地のことを詠んだ歌を残しています。
桶縄手 今もその名を朽ちさりき
塩漬にせし 鬼の首かも


御嵩町御嵩町観光協会

9:04 ファミマでトイレをお借りし、R-1ヨーグルトを飲みました。

9:09 分岐斜め右へ
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9:15 国道に合流
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9:17 八幡神社社標
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【比衣の一里塚跡】

9:23 比衣(ひえ)の一里塚跡
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中山道石標かと思ったら一里塚跡でした。江戸から九十六里目です。

9:25 御嵩町指定名木 柿の木
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9:28 東海環状道高架を潜りました。
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こんな道を歩きました。
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9:36 Y字を左へ。
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9:38 国道に合流
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合流地点にあった石標
「 左 伏見宿御嶽宿
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9:43 駐在所のところを右へ。
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右に行ったら、すぐに左折するはずなのに、間違ってまっすぐ行ってしまい、かなり歩いてしまいました。

9:54 戻ってきました。この辺りが高倉山古墳なのかな。
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【大柳跡】

さっき曲がりそびれた、ここを左に曲がります。
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9:55 この辺りに大柳があったそうです。伏見宿は飯盛女もいて、飯盛女は柳の下に櫛を埋め、苦死から逃れ早く親元に帰れると信じ願ったそうです。
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二度目の中山道22日目の2(伏見宿から太田宿への道)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/01/31/083041


二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003