紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

鬼の首塚

鬼の首塚

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案内板

「 鬼の首塚 (天神塚 )町重文


 伝説によれば鎌倉時代の建久、正治の頃(1190~1200)頗る凶暴で悪業三昧の男が次月の鬼岩の岩窟に住み着き乱暴狼藉を極め住民を大いに大いに悩ませました。
 この者は西美濃不破の関 の生れであったため、住民はこれを『関の太郎 』とか『鬼の太郎 』と呼び怖れていました。そこで正治元年(1199)人々はこの地の地頭交告源吾盛康 にこの惨状を討え退治してもらうことにしましたが盛康は京の地にあり、おいそれと帰ることができませんでした。そこで自分の家臣四名に太郎の退治を頼み御嵩の地に帰しました。ところが、なかなか太郎を討つことができなかったため、蟹薬師 に祈願したところ、太郎が女装し祭礼に来るとのお告げがあり、そのお告げのとおりに四月一日の祭礼の日に女装した太郎が現れ、それを捕らえ首を切ることがてきました。

四人の者は太郎の首を首桶 に入れ、検分のため都へ運ぼうとしたところ急に首桶が重くなり 一歩も進むことができなくなりました。すると首桶を縛っていた縄が切れ中から首が転げ落ち、落ちた首も動かすことができなくなったため、それをこの地に埋めました。
 これが『鬼の首塚 』の由来といわれています。首塚のあるあたりを『桶縄手』と呼び木曽街道膝栗毛 の著者十返舎一九 もこの地のことを詠んだ歌を残しています。
桶縄手 今もその名を朽ちさりき
塩漬にせし 鬼の首かも


御嵩町御嵩町観光協会