紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

二度目の中山道歩き26日目の4(古宿から高宮宿への道)

二度目の中山道26日目の4
2020年11月11日(水)の4


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【銀色の古宿】

10:18 「古宿」標識と薄
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鳥居本宿を出ると、銀色の薄がきれいな古宿(ふるしゅく)。一見何もないフィールドみたいですが、歴史ある昔の町のようです。


この辺りは、新幹線がひっきりなしに走っています。
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10:20 「 川原(かわら) 茶園原」
詳細は分かりません。
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10:22 「ここは彦根市小野町」
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小野町は小野小町の生誕地出来たのであるという伝説があるそうです。

この土壁の旧家の写真は2016年9月に小野町を通ったときに撮った写真です。
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10:27 地蔵祠
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10:18 地蔵堂
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10:31 鐘突堂 案内板
「大寺で仁王門があり、門前では祭礼のあと、宴が張られた。
(足利時代) 」
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【「宮谷」と八幡神社

10:32 「宮谷」
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10:32 八幡神社
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案内板
八幡神社 彦根市小野町
祭神 應神天皇
祭礼 元旦祭 一月 祈年祭 二月
春例祭 四月 納涼祭 七月
秋例祭 九月 大祓祭 十二月
由緒等
彦根市小野町は、明月記にみえる『小野庄』の遺称地とされ、中世の東海道(近世の中山道)の宿駅の一つ、小野宿も当地にありました。
当社の創立年代等は明らかではありませんが、神社に伝わる最も古い什物である鰐口には、『江州坂田郡小野當村八幡尊御前』、『奉 寄進寛文十二年六月吉日辻村喜兵衛敬白』とあります。
現在の社殿は天保八年(一八三七)の改築で、檜皮葺一間社流造の構造で、屋根には千鳥破風、軒には唐破風が付き、組物の間には十二支の彫物が施されるなど、極めて装飾的なものです。 」

一間社流造に関しては、茂田井宿泊の近くの諏訪社で調べました。
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/06/24/134623


10:33 案内板
「聖谷(しょうだに)
太子が合戦のとき一時かくれた陣地 」
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10:35 案内板
「五反田・的場(ごたんだ・まとば)
弓矢の練習場 」
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10:36 六地蔵
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小野小町塚】

10:36 小野小町塚(小町地蔵)
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案内板
小野小町

鎌倉時代、弘安二年(一二七九年)に歌人阿仏尼が京都から鎌倉へ向かう途中、小野宿に宿泊した、とある。(『十六夜日記』)
中世、小野の地は、東山道の駅家(えきや)として機能していた。また、藤原定家の『明月記』などに記される庄園『小野庄』は、当地域が想定されている。
地域に伝わる郷土芸能『小野町太鼓踊り』の中には、小野小町が謡われており、この地を誕生地とする伝承が残っている。『出羽郡小野美実(好美)は、奥州に下る途中に、小野に一夜の宿を求め、ここで生後間もない可愛い女児に出会った。美実はこの女児を養女にもらい受け、出羽国へ連れていった。この女児が小町という。』
本町の池上家は、江戸初期まで当地で代々神授『小町丸』という赤玉丸薬を製造販売していた同家に伝わる『宝伝記』には、病気になった小野小町が薬神から授かって快気した薬を池上家が譲り受けた、とある。
小町塚には、『小町地蔵』として親しまれてきた石仏(一五世紀後半に造仏) がある 。
自然石を利用して、阿弥陀如来座像が浮き彫りにされている。(全高一、二五メートル) 正面だけではなく、両側面にも彫り込まれており、類例がなく貴重である。

平成十六年六月 小野町 」

小町地蔵尊
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小野太鼓踊りの碑
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小野小町地蔵の手前に、太鼓を抱えた猿と兎が描かれた鳥獣戯画風の碑があります。「小野小町にはたおりさせば あややにしきの姫ばたを」と書いてあります。
小野小町塚の案内板によると、「郷土芸能『小野町太鼓踊り』の中に、小野小町が謡われており、この地を誕生地とする伝承が残っている。」とありましたが、
この碑の言葉は、太鼓踊りの小野小町が謡われた箇所だと思います。


10:37 案内板
「 小町前茶屋
明治中期まで茶店があった。
お多賀さん参りの客で賑わう 」
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10:39 案内板
「 ここは小野町 角路(つのじ) 」
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10:44 原八幡神社 地蔵尊
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10:46 俳人 五老井 森川許六遺跡(庵跡)
一七米
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森川許六は別号、五老井。近江の俳人蕉門十哲の一人です。


雲肘木
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【原八幡神社・白髪塚・ひるね塚】

10:47 原八幡神社
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境内にひるね塚(芭蕉句碑)と白髪塚(門人の句碑)があります。
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左が白髪塚、右がひるね塚です。


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案内板
「 白髪塚

『恥ながら残す白髪や秋の風』

聖徳太子と守屋との戦い等、幾多の戦の将士達をあわれみ、蕉門四世・祇川居士(陸奥の人)で芭蕉の門人が師の夏の句に対し秋の句を詠んだと思われる。 」

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案内板
「 ひるね塚
芭蕉の句碑

『ひるかおに
ひるねせうもの
とこのやま』

俳聖松尾芭蕉
中山道を往来する旅人が夏の暑い日にこの涼しい境内地で昼寝などしている、つかのまの休息をしている『床』と『鳥籠山・とこのやま』をかけて詠われたものと思われます。 」

10:51 中山道道標 「中山道」「原町」
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10:53 名神高速道路高架を二つ潜ります。
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10:55 多賀大社常夜燈
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11:04 ファミリーマートでおやつ。シュークリームと町カフェSを買いました。
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11:13 「 ここは地蔵町です。
春日神社」
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祭神は宇多天皇だそうです。


二度目の中山道26日目の5(高宮宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/02/25/142845


二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003