紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2度目の中山道六十九次歩き8日目の1(沓掛宿)

2度目の中山道8日目の1
2020年4月5日(日)1


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中軽井沢駅からの出発】


曇りのち晴れ 風が強い日

朝はかなり寒かった。

今日は沓掛宿(中軽井沢)〜追分宿小田井宿岩村田宿塩名田宿〜八幡宿と歩きました。

5:30 起床

7:00 昨日買っておいたパンで朝食。

7:30 チェックアウト

軽井沢駅7:42発 しなの鉄道で中軽井沢へ。

7:47 中軽井沢駅
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7:48 出発

ほんのちょっと雨が降っていました。


7:54 草津道標 正面は不動明王
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寛政十年(1798)建立の道標を兼ねた石仏です。

側面「右くさつへ」

草津温泉へ十里の道のり


【石仏の道】


7:55 上田信用金庫のところから斜め左へ
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11年前のブログより

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国道18号を離れて旧道を行くと、やや上りではあるけれど、静かで気持ちがいい道。

国道18号線と合流したり離れたりを何回か繰り返します。

右手には浅間山。ほんの少し雪が残っていて、左側はいったん下がった稜線がまたクイッと上がって、三角の尖ったピークが見えます。

道には馬頭観音や石仏が点在していますが、この辺り一帯、石や岩が多く、あっ、石仏かな?と思うと庭石だったり…

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7:56 道祖神
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雨は止みました。こんな道を歩いています。
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8:05 野仏
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8:07 高い所に石仏
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8:08 廿三夜供養塔
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8:11 秋葉神社
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8:12 馬頭観音
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8:13 国道18号線に合流
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8:13 石仏群
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ゆうすげ温泉

「信州とっておき情報」より

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軽井沢ゆうすげ温泉

ゆうすげ温泉は、軽井沢から、軽井沢のメイン道路である国道18号を西に少し走り、左に鋭角に折れた道を入ったところにある温泉旅館です。前に広いテニスコ-トがあるのは軽井沢らしいですが、1000円以上の日帰り入浴施設が多い軽井沢にあって値段・雰囲気ともにとても庶民的です。
露天風呂はなく浴室もあまり広くないですが、町民・観光客・テニスプレーヤーが利用し、夏は特に混雑します。

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【暫く道を間違える】

8:16 分岐を左へ
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これが間違いで、真ん中の道の左歩道に行くべきでした。

気づいて戻る方向へ。


8:32 馬頭観音中山道に戻りました。
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8:32 女街道入口
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案内板
「 女街道入口

 江戸時代に『入り鉄砲』『出女』といって当時恐れられていた武器鉄砲の動きや江戸屋敷に住まわせていた諸大名の奥方は人質的意義をもっていたので女人の出入りは厳重に取り締まった。したがって女人は関所を避けて裏街道を通るようになった。これを女街道、または姫街道ともいう。
 この街道はこれより本街道と分かれ油井釜ヶ淵橋を渡り風越山、広漠たる地蔵が原をよこぎり和美峠または入山峠を往来したものである。
 『関所さけて女人が多く往来せし女街道と いふは寂しも』

軽井沢町教育委員会
軽井沢町文化財審議委員会 」
                  

ところが、また間違えてしまい、分岐した女人街道の方へ行ってしまいました。
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8:43 再びさっきの馬頭観音に戻りました。右に写ったいるのが女人街道です。
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女人街道の案内板を左に見て進む道が旧中山道です。
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【遠近宮】

8:48 遠近宮 トイレを借りました。
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案内板
「 遠近宮(おちこちのみや)について

この地域一帯を遠近(おちこち)の里と言い、浅間山をご神体とする浅間様(あさまさん)が祭られていました。
在原業平(ありわらのなりひら)が『信濃なる朝間の岳に立つけぶり、をちこち人の見やはとがめぬ』と詠んだ歌にちなんで、『在原業平遠近宮』と名前が改められました。
祭神は岩長姫命(いわながひめのみこと)で創立年代は不明です。
安産の神として信仰が厚く、戦前は北陸の人をはじめ多くの人々の参拝がありました。
借宿昔語りの会 」

8:50 西長倉村道路元標
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案内板
軽井沢町 西長倉村道路元標

 道路元標 は大正八年(1919)に旧道路法施行令が公布され、道路の起点・終点を示す目的で各市町村に一個ずつ設置された、約三〇センチ角、高さ約六〇センチの柱です。
 軽井沢町には東長倉村道路元標、西長倉村道路元標が設置されました。
 西長倉村道路元標は現在の天皇道の入口付近、「布屋」前の道路脇に置かれましたが、車の往来が増えたことで場所を移されており、地域住民によって保護、保存されてきました。その後も数度の移設を経て、現在は元の場所から北東へ約二メートル移動しています。

平成二十八年十二月
軽井沢町教育委員会


この道路元標の向かいに、素晴らしい家があります。

8:50 黄壁布屋 土屋作右衛門家
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案内板
中山道 黄壁布屋 土屋作右衛門家

当泉氏系の作右衛門家は、郷土系の甚兵衛家と共に名主を務める家でした。
寛文10年(1670)に11代作右衛門によって土屋氏本館からこの地に新築して移り住みました。
当家は「総領、大庄屋、名主、こくや」などとよば れておりましたが、本当の屋号は「ぬのや」です。
中山道の代表的な米穀問屋であり、水車を持ち、造り酒屋、質屋、ちゅうき場(中馬業)立場茶屋などを営んでおり、江戸末には寺子屋も開いていました。
寛文10年に新築されたこの家は、その後焼失しましたがすぐに再建され、数度の改修を経て現在に至っております。
2012年に軽井沢町から景観特別賞をいただきました。

23代 土屋 正治


8:55 馬頭観音
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8:58 馬頭観音
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8:59 国道18号線
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8:59 蕎麦屋浅間山の絵
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さっき浅間山の写真を撮れなかったので、こんな風に見えるのかな、と、浅間山の絵を撮りました。


2度目の中山道8日目の2:(追分宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/06/06/152209


二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003