紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2度目の中山道六十九次歩き14日目の4(是より南木曽路)

2度目の中山道14日目の4
12月28日(土)の4


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日出塩前で線路を渡れなかった話】

13:06 日出塩分岐
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日出塩の桜の名所がすぐ近くにありました。

線路脇の道
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10年前に来たときは、線路左脇の道が正解だったし、ガイド本もこの道を行くように示していましたが、10年前に渡った踏切が見当たらないまま、

13:15 日出塩駅
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ここまで線路の左の道を来てしまうと来すぎなので、戻ることにしました。

13:18 以前は渡れたけれど、今は閉鎖された踏切跡
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と、この時は思って、写真1の分岐まで戻って、新しくできたらしい、線路を渡る道から日出塩に入ったのですが、日出塩の青木(洗馬の肘懸松と並び称される名所)を見ることが出来なかったのです。

しかし、後からよくよく地図を眺めると、多分もっと手前に線路を渡れる踏切があったのではないかと気づきました。

目印がオレンジのカーブミラーなのですが、行きすぎてしまった私がその先で見たのもオレンジのカーブミラーだったのです。

ひとつ前のオレンジのカーブミラーに気づいていれば、踏切も渡れたし、日出塩の青木も見ることが出来たはずです。


日出塩一里塚跡】

13:22 やり直しの道
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さっきも書いたように、本来もっと早く線路を渡れる渡っているはずでした。

先ほどは写真の左側の道(線路の左脇の道)を進みましたが、今度は写真の右の道、線路を渡る道を進みました。

13:27 日出塩一里塚跡
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日出塩の一里塚跡
木の標柱
「 一里塚跡

六十一里塚 江戸より六十一里
京へ七十一里 両側に榎を植えた 」
側面
「平成四年九月吉日 日出塩区建之 」


13:29 長泉寺
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六地蔵が笠地蔵みたいでした。
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【旧道が山の中みたいになってくる】

13:34 筆塚・道祖神秋葉大権現
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国道19号線高架を振り返る
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13:38 中北道標
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13:38 下りていく道
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【初期中山道と桜沢トンネル】

13:51 初期中山道説明板
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初期中山道

suwako.jp(諏訪湖周辺観光情報サイト)より

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初期中山道は、
下諏訪から牛首峠を通って桜沢に至るまでの全長約26kmの街道でした。
この初期中山道は作られてから約十数年で利用されなくなりました。

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案内板(右下)
「初期中山道
中山道は江戸時代の五街道の一つで、初期中山道は慶長6年(1601)に大久保長安によって整備されました。牛首峠を越し小野宿を経て三沢峠へ抜ける道が整備され、元和元年(1615)頃まで利用されました。
当時、中山道の道筋制定に当たって、長安が考えていた一つは、木曽路の山林開発を促進するための経済道路としての構想だったようであり、そのため諏訪と木曾を結ぶ近道として、下諏訪から岡谷を経て三沢(小野)峠を越して小野へ出て、それより牛首峠を越して木曾の桜沢をくだって贄川に至る道路を選んで開削し、小野街道と称して中山道の本道としました。
長安が没すると諏訪から塩尻峠を越え塩尻に出る道路に変更され、それ以降、小野街道あるいは初期中山道などと呼び、小野を中心にして諏訪・木曾・伊那方面に往来する道路となりました。
辰野町

案内板
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「中部北陸自然歩道

木曾工芸の里峠越えのみち 17.1km

起点― 楢川村 桜沢
終点― 木祖村 藪原

沿線の風景
『是より南木曽路』の石碑が建つ桜沢は、その碑文のとおり、木曽路の北の玄関口です。そこからいくつかの集落を経ると、木曾11宿の北端で、木曽福島関所の副関として重要であった贄川宿に入ります。南へ向かうと木曾漆器の産地・平沢があり、匠の里モデル工房が7軒あります。ここでは帰そ漆器の製造行程や作品を直接見ることができ、漆器を制作する体験コースもあります。奈良井川の清流に沿って行くと木曾11宿で最も繁栄した宿場の奈良井宿があり、300年にわたる街道文化を今に伝えています。ここから鳥居峠へ登る道は、石畳の道が復元され、峠に立つと木立の間から、奈良井宿藪原宿を眼下に望み、遠くに御岳山、木曽駒ヶ岳乗鞍岳が眺望でき、まず、ここは、木曽川信濃川の支流奈良井川分水嶺です。かつては難所といわれたこの峠道も、今は歩道として整備され、どなたにでも気軽に大自然を満喫する体験ができます。峠から3km程で、藪原宿に到着します。

13:54 建設中の新トンネル(桜沢トンネル)
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私はてっきり現在トンネルを掘っているのだと思ったのですが、貫通式がつい先日、12月15日に行われたそうです。まだトンネル内工事が残っており、実際に通行できるのはまだ先のようです。

このトンネルは全長1.5km、現在作っている国道19号線バイパスは全長2.1km。

現在はカーブが多く、災害時の事故も起きていますが、完成すれば直線の4車線になるそうです。


13:55 「是より南木曽路」の道路標識
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【「是より南木曽路」】

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案内板
「 是より南木曽

この地は木曽路の北の入口であり、江戸時代には尾張藩領の北境であった。石碑は、桜沢の藤屋百瀬栄が昭和一五年に建立。裏に「歌ニ絵ニ其ノ名ヲ知ラレタル、木曽路ハコノ桜沢ノ地ヨリ神坂ニ至ル南二十余里ナリ」とある。 」

ここから突然山道!
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木曽路はすべて山の中

国道がはるか下に見えます。
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【山道にて】

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14:06 石塔群
三面六臂馬頭観音
明和九年(1772)建立の名号碑
道祖神

この三面六臂馬頭観音を、もっと手前にある馬頭観音と勘違いしたため、この石塔群から右下に下りて国道に出るのに、まだ山道だと思ってしまい、昔の桜沢道をしばらく歩きました。
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トンネルやガードレールや、廃バスや、ベンチも2台ありました。今の季節だから枯れ草を踏みしだいて歩けるけれど、緑が繁る季節だったら藪こぎだなあ。

この辺りの景色、好きです。
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しかしこの先、写真を撮る余裕がなくなりました。

網が張ってあって、それを避けて上へ行ってみたり下へ行ってみたり。

でも、この先とても進めないと思い、その時点では、山道を諦めて国道に出よう。正解をどなたか中山道ウォーカーにSNSで聞いてみよう、と思っていました。

14:28 旧ガードレール。
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やっと写真を撮る余裕が出来ました。この近くに廃バス。これは怖くて撮りませんでした。


三面六臂馬頭観音庚申塔

14:32 三面六臂馬頭観音まで戻ってきました。
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無事のお礼と、これからの旅の安全をお願いしました。

こちらの写真は、三面六臂馬頭観音のアップ。
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右下の急坂を下りて、国道19号線に合流。

暫くは、あの先の山道の正解を知りたくて、左上の山道ばかり見ていました。どこかに山道から下りてくる口があるのではないか、と。

でも、地図を何度か眺めるうちに、私が手を合わせた三面六臂馬頭観音から国道19号線に下りてくる道が正解で、私が暫しさ迷った山道はただの時間の無駄であったことに気づきました。

あの時、山道を諦めて三面六臂馬頭観音まで戻ってよかった!

14:43 白山神社
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14:46 庚申塔
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【旧片平村】

14:49 旧片平村への分岐
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中北道標
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14:52 旧片平村を振り返る
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14:54 桜沢トンネルの出口
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暫くは国道の歩道を歩きます。

【若神子一里塚跡と水場】

14:57 若神一里塚跡
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工事中で歩行者迂回で、遠くからしか見られませんでした。

私の写真では案内板の文字が見えないので、探してきました。

案内板
「 若神子一里塚

塩尻市指定文化財 60.3.15.
楢川村文化財(史跡)指定

一里塚は、街道の里程の目安として一里ごとに道の両側に設置された塚で、榎や松が植えられ往時の旅人の休息の場ともなっていた。
この若神子一里塚は、中山道に設けられた一里塚のうち、楢川地域内の5箇所の一里塚の内のひとつで、江戸時代には道の両側に2基あり、それぞれに榎が植えられていたが、明治43年の中央線の鉄道敷設時に1基が取り壊され、現存する1基も国道19号線の拡幅によって切り崩されて、現在は直径約5m、高さ1mほどを残すのみとなっている。
塩尻市教育委員会

14:59 中北道標
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旧若神子村へ
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15:01 若神子バス停の所の水場
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実際に生活に使われている、飲み水です。


【旧道を行く】

15:03 若神子の第二の水場
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15:04 石塔群
道祖神文三年(1534)建立
廿三夜待供養塔 明和二年(1765)建立
馬頭観音

15:06 Y字路の右の上り坂へ
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中北道標
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2度目の中山道14日目の5(贄川宿の1)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/07/06/182034


二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003